================================================
あの場に居合わせた全員が食堂へと移動したあと、ヒョヌが用意したプレゼントの感動を共有していた。
それは思っていた以上に大掛かりなものだった。
この島で生活していれば、それらがどれだけ大変な作業だったかわかる。
エリとリョウコは涙ぐんでさえいた。
マークとキャシーはヒョヌへしきりと賛辞を送り、話を聞いたジャンとミラも感動して、見逃がしたことをとても悔しがった。
杏子でさえ、予想以上に大掛かりなプレゼントに感激したほどだ。
「ヒョヌさん、正確にはなんて言ってたんですか?」
カズヤの問いに、ソンホと杏子は顔を見合わせて小さく笑う。
あの時、ヒョヌは全て韓国語で話していた。日本語を上手く話せるようになってはいたが、気持ちを伝えるにはやはり母国語の方が良かったのだろう。そしてそれを汲み取れるだけの語学力が優奈にはある。
「誕生日おめでとう、優奈。生まれてきてくれて、僕と出会ってくれて、愛してくれて、ありがとう」
杏子は彼のセリフの一部を訳して聞かせた。
「へぇ」
カズヤが感心している隣で、エリもうっとりとため息をついた。
「素敵なセリフだよね」
「本当。生まれてきてくれて、僕と出会ってくれて、愛してくれて……短いけど、ヒョヌさんの想いがこもってる気がする。本当に愛してるって伝わってきました」
リョウコの言葉に、杏子も微笑んだ。
「そうね」
自分達にもこれだけ伝わったのだから、優奈にも充分伝わったはずだ。
これで大丈夫。
杏子はよかったと心から思った。
「あの野郎――」
杏子の横で、頬杖をついた修平が苦笑しながら呟いた。
修平もあの時のヒョヌの言葉を、きちんと理解している一人で、数ヶ月前からソンホに頼んで語学を学んだ結果だ。要領のいい修平はみるみる上達して、今では韓国語をほぼ不自由なく話すことができる。
「あら、まだ妬けるの?」
杏子の悪戯っぽい視線に苦笑して、目の前でひらひらと手を振っている。
「違うって。……カズヤ。お前、笑い事じゃないぞ?」
突然向けられた話の矛先に、カズヤは目を見張って修平を見た。
「なんでっすか?」
「馬鹿だな。あのサプライズに、あの状況で、そのセリフ。俺もお前も確実にハードルが上がったんだぞ?」
しかめっ面の上に笑顔を張りつけるという、器用な表情を浮かべた修平が声をかけると、カズヤは「あっ」と声をあげた。
「確かにね」
2人の顔をみた杏子が楽しそうに笑った。
ヒョヌのおかげで、あるいはヒョヌのせいで、彼女のいる男性陣はこれから大騒ぎだ。工夫であれだけできると証明されたのだ。自分の彼女の時は自分たちの番。手を抜いたと思われないためにも頑張らねばならない。
「エリ、楽しみね」
「はい!」
杏子とエリが意味深に笑い合う。
「な? 言っただろ?」
肩をすくめる修平に、カズヤが舌打ちをした。
「修平さんがよけいなこと言わなきゃよかったんっすよ」
カズヤのぼやきを、修平は「甘い」と一蹴する。
「状況を考えろ。杏子と一緒に見た時点でそれは無理だ」
だから自己責任だなと肩をすくめる。
「自業自得ともいう」
覗きの代償だと苦笑する修平の言葉に、カズヤが「俺には無理」と項垂れた。
「確かにね」
「でもまぁ、国籍の違いを感じたりするよなぁ」
修平のぼやきに、全員が注目した。
「歯が浮きそうなセリフもメルヘンチックな演出も。普通出来ねぇよ」
「そうですよ!」
無理無理と笑うカズヤを、隣に座ったエリがつつく。
「カズくんは私のために何かするの、嫌なの?」
「はい? いや、そうでなくて――そういう問題ではなくって」
わざとらしく拗ねるエリをカズヤがなだめはじめる。
「カズヤ、ピンチね」
「これは挽回しなきゃな」
「勘弁してくださいよぉ」
テーブルに突っ伏したカズヤを見て、全員が一斉に噴き出した。
「韓国男性も欧米男性並みにサプライズ好きですからね」
ソンホは人好きのする笑顔で話しかけた。助け船のつもりだった。
確かに日本人男性より韓国男性の方がサプライズに拘るかもしれないと思っていたからだ。特に自分の係わる芸能界の人達は、仕事柄かその演出にもかなり拘る。
「感情豊かだしな。ま、良くいえばだけど」
ふんと鼻を鳴らした修平に、マークとジャンが反論する。
「女性はリスペクトすべきだ」
「イタリア人とアメリカ人には、シャイな日本男児の気持ちはわからない」
「そういう問題じゃないぞ?」
「いやいや。そりゃあ、マークやジャンは慣れてるだろうけど。日本男児にはハードルが……」
勘弁してくれと笑う修平に、マークもジャンも容赦が無い。
「女性を喜ばす、いいことじゃないか!」
「喜ばせたくないって言ってるわけじゃない」
「そんな事言ってると、杏子に振られるぞ?」
「ちょっと待て。なぜそうなる?」
「……日本男性は女性が嫌いなのか?」
「だから! なぜそうなる!」
「負けるな、修平さん!」
「カズヤ……お前も戦え」
2対2で応酬する男たちを見ながらソンホが呟いた。
「韓国では付き合うとまず100日目でお祝いをしますから。その他にも恋人同士のイベントは多いですから。お金をかけてもかけなくても、皆さん驚かそうとかなり頑張りますよ。根底にあるのはやっぱり彼女を喜ばせたいという愛情でしょうね」
「凄い」
「いいですね、そういうの」
エリとリョウコの賛辞に気を良くしたソンホは少し得意げに笑った。なんだか自分が褒められているようで嬉しかったのだ。
だがそれがいけなかった。
「韓国人全員じゃないだろう?」
「それはね。個人差もありますから」
「だよな。ヒョヌさんも相当頑張ったんだな」
そう言って笑う修平に、ソンホは少しむきになった。
「あれぐらいはいつでもやりますよ、ヒョヌさんなら。いつだったか――」
そう言いかけてハッとした。いつの間にか全員の視線が自分に集中している。
「――で、いつだったか?」
修平が口の端をあげてその続きを待っている。
「修平くん、悪い顔してますよ、物凄く……」
「これは自前だ」
「いや、でもほら。……人の想い出を勝手に話すのはいけないですね?」
及び腰になったソンホに、修平が笑ってたたみかける。
「もう遅い」
「そうっすよ。今後の参考のためにも是非!」
手を合わせて拝み倒すカズヤに、全員の苦笑が漏れる。エリの一言が相当効いたらしい。
杏子は呆れたように肩を竦め、修平は小さく噴出した。
「カズヤ、お前必死だな……」
「誰のせいっすか!」
「そろそろ遅いですし、解散でしょう?」
ソンホはワザと腰を浮かせたが、誰も立ち上がる気配はない。それどころか恨みがましい目で見つめられて、しかたなく座りなおす。
「大丈夫。夜は始まったばかりです」
エリがそう言えば
「このままじゃ寝れません」
珍しくリョウコまで目を輝かせている。
ソンホはますます頭を抱えた。
「聞いてどうするんですか?」
苦し紛れにそう言うと、参考のためだの、単純に興味があるだのと言った返事の中で、弱みを握ると言い放つ声が聞こえた。
「弱み?」
思わず聞き返すと、悪びれずに笑う修平がソンホの目に映った。
「ヒョヌさんって、いつもイチイチカッコいいからな」
「カッコいいエピソードが増えるだけでは?」
「それでも使える」
そう言って屈託なく笑う修平に「何に?」とは怖くて聞けなかった。
――ますます言えないじゃないか!
「ソンホ。ここは是非、今後の彼らのためにもひと肌脱ごうじゃないか!」
マークが笑ってそういうと、ソンホはますます追い詰められる。
――完全に面白がっている。
「でも……優奈さんの誕生日に、ヒョヌさんの過去話は……」
「そうか! 他の女性にしたサプライズってことか!」
目を輝かせたカズヤに、杏子が「当り前でしょう?」と笑った。
嬉々としている全員の顔には、期待が張り付いている。困ったことに、全員がとても楽しそうだった。私だって楽しそうなみんなを見るのは好きだ。そういう時は自分まで楽しくなった。しかし今日は楽しくない。
そもそも、ここまで喰いつく理由がソンホには全くわからない。何をする気なのか想像も……するだけで恐ろしい。
――嫌な予感がする。物凄く嫌な予感がする。
ヒョヌとの友情も、今日を限りに終わるかもしれないと思った。
「……参ったな」
ソンホが小さくため息をつく。
「ソンホさんは、何で知ってるんですか?」
ソンホが顔をあげると、隣に座るリョウコが無邪気に聞いた。
「彼は芸能人ですからね、そういうネタはスクープもされますから。だから目新しい話じゃないんですよ」
やんわりと断っているつもりだった。
真実は少し違う。知っているエピソードは、マスコミにばれたことのない裏話的なものばかりだ。旅に出る前から、そして旅の途中で、今は居ない彼のマネージャーが得意げに話したヒョヌさんの武勇伝。ほろ酔い気分で悪乗りした暴露話、友人同士の「酒の肴」
……勝手に話していいわけが無い。
「俺らは韓国芸能事情に詳しくないしな」
修平の呟きに、ソンホは喰いついた。
「じゃ、じゃあ……芸能人たちの演出の話にしますか!」
「おお! いいねぇ」
修平がぽんとテーブルを叩く。
思わぬ賛同にソンホはほっと胸をなでおろした。それなら実害はないだろう。そういうこともあるというネタ話のひとつだ。彼らの好奇心を満たせば、なんとかなるはずだと思った。
どんな話がいいかと思案を巡らせる。日本でも有名なスターの話が良いか、凝った演出の方がいいか――。
話の矛先を何とか変えようともがくソンホの前で、修平が先に口を開いた。
「そう言えば、身近に韓国芸能人がいたな」
「……はい?」
「あ、いたいた。『カン・ヒョヌ』っていう有名俳優が1人」
「やっぱり、そこにいきますか……」
無駄な足掻きだったと思い知ったソンホが脱力する。
「まずは有名どころエピソードからお聞かせ頂きたい!」
意気込んだカズヤの笑顔に、ソンホの顔が引きつっていく。
「後でヒョヌさんに怒られるのは、私ですよ?」
「だから遅いって」
みんな楽しそうに笑っている。その後も全員で、出し惜しみするなだの、社会勉強になるだの、言えないほどカッコ悪かったのか?だの、手を変え品を変えソンホを追い詰めていく。
終いには修平が「吐け。吐けば楽になるぞ」と、刑事もどきの尋問まで繰り出す始末。
その時、ソンホはTシャツをつんつんと引っ張られた気がした。振り向くといつも大人しいリョウコが、にっこりと微笑んでソンホを見ている。
何となく安堵して笑顔を返すと、リョウコは内緒話をするように片手を口に添えた。
「優奈さんには内緒で」
その一言に、全員が破顔した。
「そうそう。内緒で!」
口を滑らせた自分の失態だ。まさかみんなが、こんなに食いつくとは思ってなかった。別にここにいるみんなに話したとしても、それがヒョヌさんのスキャンダルになることはないだろう……と思う。
たぶん。
優奈さんのことを含めて、助かった後もマスコミにリークするとは思えない。
そこまで考えて首を振った。
そういう問題ではない。男の仁義の問題だった。
修平とカズヤだけでなく、女性陣も目を輝かせているこの状況で、ソンホは完全に逃げ場を失った。野次馬根性丸出しで身を乗り出す面々は、まるでスクープを狙うマスコミのようだ。
迫ってくる笑顔の圧力に押され気味だが、辛うじて残っている気概を奮い立たせて抵抗を続ける。心のどこかでヒョヌへのいい訳を考えはじめてしまう自分を叱咤し、ふるふると首を振った。
そしてなぜか杏子を見た。
一連のこのやり取りを、意外なほど静かに聞いていた杏子に救いを求めたのだ。笑ってはいても、心良く思っていない話題なのだと思った。
それはそうだ。いつ優奈の耳に入るとも限らない。いくら優奈でも、好きな人の昔の恋愛エピソードなんて面白いわけが無い。そして優奈を傷つけるような話題は、杏子の最も忌むべきものだと確信する。
ソンホの気配を感じた杏子は頷いて、両手で頬杖をついて首を傾げた。
「さて、と。ソンホさん、そろそろ聞かせて貰いましょうか?」
笑顔の恐怖というものを、ソンホははじめて味わった。
――甘かった。
ついにソンホの戦意は完全に消失した。
――長い夜になりそうだな。
ソンホが諦めのため息をつく。宴のあとに残ったロウソクが、彼らに反応してゆらゆらと揺れる。
その日は全員がそこで夜を明かすことに決めた。
【記事を閉じる】