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憧憬


私の母は少し変わった人だった。

家と幼なじみと両親が世界の全てだったころは気付かなかったけれど、今思うとなかなかユニークな人であったと思う。私は幼いころ「魔女」になりたかったのだけれど(箒に乗って空を飛びたかった)一時期、私は母が魔法を使えると信じて疑わなかった。これはたぶんに母のせいでもある。

母は自然の力をまるで自分が動かしているかのように語る癖があった。確かに出先で雨が降っても、まるで母を避けるように雨が止んで濡れることが無かったし、暑いと言えば空に向かって風を呼び、母が怒るとそのあと地震が起きた。嘘や隠しごとをしても全てお見通しで、子供の中でのちょっとした冒険や悪戯をするときには、どこにいても母が見ている気がしたものだ。

今なら子供の幼稚な隠しごとなど手に取るようにわかるだろうと思えるし、偶然でしょうと片付けられる事象なのだけれど、子供からしたら驚きの連続だったわけで、母もそれを肯定して憚らない人で、もうなんだか本当に怖くて憧れていた。そう。私はどこかで母に憧れていたのだと思う。

いわゆるお嬢様育ちの母は、服も趣味も身の回りのものまで全てにおいて、母の感覚にかなった美しいもの、品のいいものだけを好んで揃えていた。無駄なものは買わなかったし、もともと持っていたものも多かったけれど、当然そういうものは高価でもあったりするわけで、当時の父が平均より少し稼ぎが良かったとしても、傍目にはかなり散財する女性に見えていたのではないかと思う。

思い返せば、その美意識を対人関係にまで求めるような人だった。間違っていることをそのまま曖昧に飲み込むことのできない、どこか潔癖な人でもあったので、私たち子供を通しても一般的なお母さん方と友人関係が築けなかったのだろうなと今ならわかる。誰かに傷つき、何かに傷つき、その痛みに震えながら夜中に何度か泣いている母の姿を見かけたことがある。

そんなときの母の話し相手はまだ幼い私だった。当時の父は休日も仕事に奔走していて1/3は日本にいなかったし、まわりに愚痴を零せる友人もいなければ、長姉の私しかいなかったのだろうと思う。まだ年が2桁に届かない私に、母はいろんなことを語ってくれた。当時の私はそのほとんどを理解できなかったけれど、辛いこと悲しいこと、嬉しいこと楽しいこと、思い出話に母の想う世の中の理まで、まるでお伽噺のように聴いていた。

だから私は母の昔の恋バナまで知っている。今考えると親の恋バナまで知っているというのは、なかなかシュールだなぁと思うけれど。当時は一応父には色々内緒で、その「内緒」ということがまた大人扱いされている気がして、なんだか嬉しかったのを憶えている。私は母の話を聴くのが好きだった。私は母を魔女だと思っていたのだから。綺麗で器用で、いい香りのする母は私の憧れだった。

私の羨望を集めていた母は、現実ではいつもひとりだった。朗らかに笑い、草木を愛し、同じように子供たちに無償の愛を注いでくれていたけれど、なぜか母は「いつもひとりだった」という印象が強い。当時の母は食事の間中ずっと側にいて色々な話もしていたのだけれど、一緒に食事をとることはほとんどなかった。それどころか、あの頃の母が食事をしている姿を思い出せない。いつも珈琲を燻らせたカップを両手で持ち、それを少しずつ飲みながら子供たちの1日に起きたあれこれを静かに微笑んで聴いているような人だった。

「ごはんを食べないの?」と1度だけ聴いたことがある。母は霞を食べているから食事はいらないと笑っていた。仙人じゃあるまいし、そんなわけあるかっ!と今なら突っ込むところだけれど、当時の私たちは「お母さんならあり得る」と妙に納得していたように思う。だから2度は聴かなかった。それで納得させてしまうところが母らしいといえば母らしくて、母の魔女説、母の神様説は、今でも家族での思い出話になっている。

バスに揺られているとき、急ぎ足で街を通り過ぎるとき、カフェで音楽を聴いているとき、何気ない日常の中でふっと当時の記憶が蘇ることがある。そういうときはいつも、記憶は無くなるわけでは無く、私のどこかに格納されているのだなぁと思う。母が語ってくれた言葉の断片は時の流れに擦り切れて、ほとんどがその原型を残してはいないのだけれど、それでも私の中に残っていて時々意味も無く蘇ってくるので困惑してしまう。どこかで母が見ているのではないかという気分にさせられる。

思春期を迎えて反抗期を通り過ぎた私にとって、既に母は憧れではなくなっていたし、どこか反面教師とも思ったりして、かつて魔女に憧れ、同じように母に憧れていた私は、母とは違う生き方を選び、どっぷりと現実社会で生きている。そんな私を心配しつつ、母は好きにしなさいと笑っていた。

あの頃の母は少し病んでいたのではないか。そう思うことがある。人が好きで、でも人に対してどこか不器用だった母は、毎日小さく傷ついていた。小さな傷が積み重なって苦しんでいたのだろうと思う。幼い私はそこに気づけなかったけれど、今ならもう少しましな声をかけてあげられただろうか。


どうかな。
やっぱり何も言えず、黙って隣に座っているだけかもしれない。




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