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矜持


「いい加減は良い加減」と誰かが言っていた。誰か忘れたけども。

私は自分をいい加減だなーと思っている。自分の中にある「いい加減さ」を認めている。「譲れない」部分に踏み込んでくる場合は、徹底して許容できる部分まで落とし込めるように話し合うのだけれど、それ以外はけっこう平気でいい加減だったりする。一線を越えない限りはどうぞどうぞと平気で譲れる。どうでもいいことに労力は割けない。それだけのことなのだけれど、だからいつも「いいですよ」と言ってくれると思われているならば、随分短絡的過ぎでは無いかと思う。

私の中では「どうしても譲れない」という線引きが明確にあって、仕事であってもそこだけはブレないように気をつけている。以前、打ち合わせの場で「そこは譲れませんよ」と絶対に引かない私を知ってびっくりされたことがあった。どうやら私は非常に沸点の低い、柔らかい人だという認識が広がっているようなのだけれど、誰にでも譲れないことがあるのは当たり前のこと。

もちろん最初は、というか今でも色々なことがあるし、憤ることも凹むことも多いけれど、こればかりは仕事なのでどうしようもない。だから「ここは言わなければいけない」と思うことを黙っていることはしない。拗らせてもいいことは無いので、タイミングを図ったり、笑顔を添えることは忘れないようにしているけれど。

失礼を承知で言えば、大先輩であっても自身の培った知識と経験に溺れて本質を勘違いしている方もいる。その場合、たいてい自尊心を満たすためだったりするので困る。数の力で、あるいは牽制という意趣返しで言うことを聞かせようとする、偏狭で妄動的な相手に迎合してはいけない。自身の矜持と根幹にかかわる部分は譲ってはいけない。そこを譲ってしまったらきっと色々なことがブレてしまう。それがわかっていて引くことはない。

当然相手にもそういう一線はあるだろうし、今までも引かないためにその場が険悪になったことすらあった。それこそ一回り年上であっても子供のいじめように無視をしてみたり、嫌がらせをしてくる人もいたりする。そういう場合、憤りつつも私はたいてい心の中で笑ってしまうのだ。底が知れる、そう思って。そんなときの私の笑いを冷静に想像すると、自分でもちょっと怖い。

だからといって自身が狭量な人間になってもいけないと思う。自分本位になりすぎていないか、仕事へのプライドと個人的な自意識や自尊心とを勘違いしていないか。意見を交わす前に私は必ずそのことを反芻する。人がひとりで考えうることには必ず限界があるもので、意見を交わせるということは喜ぶべきことだと思っている。自己は他者の中で確立する。自分の中に無かった意識や経験に共感できることも多い。

私は付き合いのある業界の先生方の中で、年齢的に言えば下から数えた方が早い若輩者なのだけれど、意外と好きに仕事をさせて頂いている。自意識と自尊心の高い方が多い世界でやっかいでもあるが、基本的に教え好きな方々なので助けていただくことも多い。これにはもう感謝しかないなーと思う。本当に。

私はどこに行っても器用に立ち回れると思われているのか、それを羨ましいと嘆く人も一定数いる。私のまわりには年齢や見た目のために侮られると嘆く人も数人存在する。若さは悪いことでは無いけれど経験不足というイメージや侮りを生むようで、一般的な仕事はどうかわからないが、仕事柄か武器にならないように思う。良かったと思うべきか、残念と思うべきか悩むところではあるけれど。

そういう人はたいてい、本人の実力以上に自尊心が高い。ある日の午後、泣くほど悔しいのだなーと見ていたことがあった。個人的には侮られてもいいじゃん、とは思うけれど。いやなら戦えば?とも思う。泣くほど苦しんでいる人を前にしてそう言い放つほど鬼では無いので黙っていたけれど。

自分の存在を守りたいなら、居場所を守りたいなら戦え。周りから「この人けっこう面倒くさいぞ」と思われるかもしれないけれど、面倒くさい人の方がいいと思っている。それが一線になる。自分が譲れない一線を矜持として持ち続けていられるなら、侮られたかどうかなどということは些末な事象にすぎないでしょう。泣けばいいし、悔しがればいい。それが力になることもあるし、力にしていけばいい。大丈夫。誰でもそのうち年を取る。


しなやかに、したたかに。これからもよろしく。



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