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夏祭りと星の空

今日は満月。でも案の定、東京で星は見えない。

私は人生の大半を東京で過ごしているせいか、夜空を見上げても見えるのは月ばかりで星空にはあまり縁がないのだけれど、昔見た家族旅行先の星空は今でも鮮明に覚えている。

私が16歳になる年の夏に行った家族旅行。当時とにかく旅行が好きだった両親には、本当にあちこち連れていかれた。もともとアウトドアに興味が薄く、すでに夏の海に行ってさえエアコンの効いたカフェで過ごすほうが好き、といったあの頃の私の感情を考えると、無理矢理連れ回されたといった方がいいかもしれない。

あの夏に立ち寄ったのは山の上の小さな民宿。「自然を満喫する」といえば聞こえがいいけれど、少し開けた広場のまわりに見えるのは深い森ばかりで、蝉の声だけが五月蠅いほどこだまする、本当に何もない民宿だった。両親がどこをどう探してあの民宿を選んだのかは今でもわからない。とても旅雑誌に載るとは思えないから、誰かの紹介だったのだろうか。

車を走らせて家族5人で出かける間中、私は車中でずっと寝ていたと思う。もともと車酔いの激しい方だったし、あり得ないと思うほどの長距離走行で、騒ぐ気力どころか返事をするのさえ億劫なほどぐったりしたのを憶えている。深い森を抜けてついた先、2泊の予定で泊まった鄙びた民宿。まさか今の年になるまで記憶に残るなんて、旅の始まりには思いもしなかった。

高校生にして既に日焼けを天敵と目の敵にするぐらい太陽を避けていた私には、妹弟のように外ではしゃぐこともできず、庇の影に隠れるようにして、張り出した縁側に座って外を眺めていた。そんな私を可哀想に思ったのか、はじめは民宿のおじいさんが声をかけてくれた。おじいさんはまさに好好爺を絵に描いたような人だった。大好きだった祖父を亡くしていた私は、おじいさんを気に入っていたのだけれど、暫く話した後に、夏の時期だけ泊まりがけでバイトに来ていた男の子に私の相手を頼みはじめて驚いた。

たぶん年が近いから、と思ったのだと思う。年が近くても、いやむしろ年が近いからこそ、その年代で性別が違えばかえって気まずいものだなんて、好好爺の与り知らないところだろう。あのぐらいの年の好好爺からすれば、5歳児も16歳もたいして変わらないのかもしれない。親切過ぎてたぶんそんなことには気付いていない。にこにこ笑顔の好好爺の隣で、お互いぎこちなく挨拶を交わしたのを憶えている。それでも炎天下の中、あれだけ日差しを目の敵にしていた私がその子と並んで歩いたのは、ちょっと…かなりかっこよかったからに他ならない。呆れるほどげんきんなものだと自分でも思う。

彼は1つ年上で地元の高校に通っていた。土地柄なのか、素質なのか、都内ではなかなか見かけないと思うような真っ直ぐに優しい好青年だった。地元のせいか森の中での楽しみ方も詳しくて、私が(彼からすれば)かなり都会の女の子だと気を遣ってくれたおかげで、森の中の散策はとても楽しかった。自然の中で自然に親しむなど、私の辞書にも日常の中にもないことで、あれもこれも新鮮で、教わるたびに驚く私のあまりの無知ぶりに彼もちょっと楽しそうだったのは気のせいだっただろうか。夜の帳が降りる頃にはかなり親しくなっていたのだけれど、バイトの身の彼は夕食やらなんやらの準備に駆り出され、私は家族の元に戻った。夕食は山の幸を使った地のもので、食事はとても美味しかったと記憶している。

翌日「今日は夏祭りがあるよ」と好好爺に教わっていたけれど、やっぱり日中は特にやることがなかった。もともと何もない民宿であったし、アウトドアは苦手なのだから当然といえば当然だ。川遊びに繰り出す家族を尻目に、私は相変わらず縁側に座っていた。手持ち無沙汰な私を気にかけてくれて、彼は翌日もバイトの仕事の合間に話しかけてくれた。

あたりが夕闇に包まれる頃、ぽつりぽつりと提灯に灯りが点り、地元の小さな夏祭りが催されていく。広場の中央に組まれた簡素な櫓のまわりを、町の人がゆっくりと練り歩きながら踊る。手作りの質素な屋台に群がる小さな子供たちの笑い声、お囃子の音、焼き鳥に焼きそば、ラムネ、あんず飴。

バイトだった彼も夏祭りは参加できるようで、誘われて彼と見てまわることになった。とはいっても、見渡せるぐらい小さな祭りではあったのだけれど。意味不明の小言をぶつぶつと言う父のそばで、何故か母が楽しそうに笑っていたのを憶えている。私と遊びたくて纏わり付く弟を執拗に引き剥がして、何故あんなに母が楽しそうだったのか、今の私ならよくわかる。恋愛未満のぎこちない高校生2人を見ていたら、今の私でも同じことをするだろう。私の観察癖は遺伝子レベルで母譲りであったのかと、今更気がついてちょっと愕然としている。

祭りの後、片付けに奔走する大人たちから離れて、椅子代わりに置かれていた丸太に腰をかけ、何度も無駄に呼びに来た父を華麗に無視して、ずいぶん長いこと話していた気がする。

祭りの灯りが消えた後、かなり山奥にあったその民宿で見上げた星空は、零れそうなほどひしめき合っていた。「星が降るような」という表現が実感として理解できた瞬間。地上には背にした民宿から零れる灯りだけで、遠くに見えていたはずの森の木々さえ、夜に溶け込んでその輪郭も判別しずらいほどの漆黒の闇の中に浮かぶ星たちは圧倒的だった。息を呑むような美しさを目の当たりにして感じたのは、少しばかりの恐怖。

足下も覚束ないほどの夜の闇の中、民宿までの短い帰り道、彼が手を引いて歩いてくれた。宿の出入り口で手をつないだまま、暫くたわいもない話をして、おやすみなさいと互いに声をかけてその日を終えた。帰路につく車中で「楽しかったでしょ?」と声をかける、私より楽しそうな母の声に、素直に頷けない程度には子供だったころの記憶。


小さな祭りの後に見上げた零れる星空と共に憶えている、淡い夏の思い出。


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