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夏の雨


雨が降っている。

このところ夏が全力で仕事をしていたせいで、私の中で「夏は暑い」から「夏は痛い」に変わりつつあるのだけれど、そんな想いを見透かしたような雨が降り出して大きな音を立てて窓を叩きはじめた。夏の雨は好きだ。特に部屋の中で雨の踊る音を聞いていると、夜中に流れる赦しと怠惰な空気が混ざり合って心の奥がしんと静まる感じがする。

その昔、まったりと燻る珈琲を飲みながら夜が通り過ぎて行く時間をこよなく愛していた時期があった。昔といってもほんの数年前だけれど。そんな時間と珈琲は実によく似合う。日常的に飲みすぎを人から注意されるほど珈琲を愛していたのだけれど、珈琲を飲み過ぎると偏頭痛が酷くなると誰かに脅された。好きなものを否定されるのは痛みを伴うのだけれど、確かに最近頭が重いなと感じ始めていた頃だったので、これはそのせいなのだろうか?と気まぐれに控えてみたら本当に治まってびっくりしたのを憶えている。今でも早朝のカフェや日中に飲むのは止められないので、それからできる限り家では珈琲を飲まなくなったのだけれど、こういう日はやっぱり珈琲が飲みたくなる。そういえば私の母も珈琲をこよなく愛していたなぁと思い出しながら、今日は深夜にこそこそと珈琲を淹れた。

この間流れてきたTLで「概念としての夏は好き」というフレーズにとても気に入って私の中での夏の概念はなんだろうと考えていた。燦々と降り注ぐ陽光、入道雲に打ち上げ花火。街に揺らぐ陽炎、風鈴の音に蝉の声。江戸切り子のグラスに滴る水滴。風に揺れる向日葵。激しい感情を突然発露する人が苦手なのと同じぐらい激しい気候は苦手なので、痛みを感じるほどの夏は私にとって生きづらい季節ではあるけれど、確かに夏の持っている心象は美しいと思う。

熱気を感じることのない窓から眺めるような夏の情景はなぜか懐かしく切ない。この感情はどこからくるのだろうといつも考える。強い光は等しく強い影を作り出すように、夏の醸し出す陽気で眩しいほどの明るさが同時に黒く塗り潰した影のような闇を浮かびあがらせるせいだとしたら、人は等しく心に光と闇を抱えているのかもしれない。そのなんともいえない懐かしさと切なさも込みで夏は眩しいほど美しい。だから奥底に隠し潜める心の陰影も等しく美しい。時に心を奪われるほど美しく感じて惹かれてしまう。

「創作熱」と呼ばれるものを最近少しだけ感じるようになって、そういえばここから遠ざかっていたなぁと思いだしたのだけれど、物語を紡ぐだけのエネルギーみたいなものを現実に奪われているのでさすがに難しい。リハビリのようにまずは言葉を連ねてみてはどうかと思い立ち、しばらくは日記のようなものを綴ってみようかと思う。すっかり寂しくなったここに訪れる人がいるのかはわからないし、独り言のようなものなのでそんなに需要があるとは思えないのだけれど、これは私のリハビリを兼ねたエチュードのようなものなのでよしとしよう。

コメ欄は閉じておく。更新を見かけて寄ってくださる方がいたとしたら申し訳ない。お元気ですか?私は元気です。願わくばここで交流していた方々の痛みや淋しさが、あの頃より癒やされた今でありますように。


いつの間にか雨は窓を叩くのをやめていた。もう少し一緒に過ごしたかったのに残念でならない。




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