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誓約の地/漂流編 完結・140<誓約>


更新が止まっていつの間にか時間がたってしまいました。

誓約の地は第一章「漂流編」第二章「追憶編」第三章「旅立編」と続くのですが
プロットを整理し直し、試行錯誤しているうちに手が止まってしまってました。

続きがいつになるのか実はまだ未定ですが、読書の秋にかこつけて
初心に戻ってプロット通りにいこうと、第1章の最終話「誓約」をアップします。
それに伴い、追億編はいったん隠しております。
また時機を見てUPしますので。

30話程度で終わるはずだった第1章の漂流編も気がつけばこんなに長くなりました。
とりあえず一区切りですが、次章も少しずつ書きためようと思ってます。

コメントはとても嬉しいですが、お返事を書けるかがわかりません。
それでもよろしければという身勝手なお願いと共にコメント欄は開けておきます。

いつになるか未定という体たらくですが、案はあるので完結させるつもりではいます。


ではまた、そのうちに。




YUKA







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 優奈の誕生祝から数日たったある日の午後、ヒョヌは礼拝堂にいた。
 
 夕暮れ時の礼拝堂は綺麗だった。

 ステンドグラスに差し込む光が橙色に輝き、低くなった陽光が室内を照らしている。

 ヒョヌは長椅子に腰をおろし、長いこと座っていた。

 祭壇の奥にはめ込まれたような、かすれた簡素な十字のレリーフを見つめるその顔は祈るようでもあり、語るようでもあった。




「ここにいたの?」

 そっとドアをすり抜け、優奈がヒョヌを見つけて微笑んだ。

 いつもの柔らかい笑顔が夕日を浴びて輝き、澄んだ瞳が真っ直ぐ自分を見つめている。

 その笑顔にヒョヌは何故か泣きそうになった。

 出会えたことに、愛し合えている今に、どれだけ救われてどれだけ癒されているか。

 どんな言葉でもいい尽くせないほど愛している、最愛の人――。

 近寄ってくる優奈に自分の椅子の横をポンポンと叩き、隣に座るように伝える。

「どうしたの?」

「ん?」

「お祈り?」

「いや……誓いかな」

 いつもと様子の違うヒョヌに少し動揺しながら、優奈が声をかける。

「……どんな?」

ヒョヌはその問いには答えず、祭壇の奥に刻まれた十字のレリーフを見上げたまま、ゆっくりと語り始めた。

「この先どうなるのか、どうするのか……考えたらきりがないし、正直不安だったり切なかったりすることもあるって言ってただろう?」

「……うん」

「同じこと、僕もずっと考えてたよ」

 呟くように告げるヒョヌの横顔を、優奈は息を潜めるようにして見つめていた。

 夕日に彩られた横顔は息を呑むほど美しい。

「漠然とした不安。遭難が長びくほど僕は忘れられていくんだろうなってね。今助かったとしてこの先、韓国で俳優をやれるのか。芸能界は浮き沈みも時の流れも思っている以上に速い。突然スターになることもあれば、何かのきっかけで干されてしまうこともあるから。この状況がどんな風に影響するのか、そんなこと考えても仕方がないって思っているのにな」

 一言一言、大切に紡ぐようなヒョヌの言葉は、心の声まで聞こえてくるようだった。

 時折流れる風に擦れる草木の音だけが微かに聞こえる。

 時間がまるで2人の間をすり抜けるように、静かな沈黙を落としていく。

「僕らが付き合う前、優奈を心配した修平に言われたことがある。この島を出て戻れば俺たち以上に韓国は大騒ぎになるだろうってね。『韓国スターが遭難先の島で――マスコミが放っておかないのは目に見えてる。いつか必ずそういう日がくるだろう。ヒョヌさんは芸能人で相手は一般大衆。マスコミも不特定多数の一般人も無視できる立場にいない。だから中途半端な気持ちで優奈をかまうな』……そう言われた。正直、あれはずしんと響いた」

 ヒョヌは視線を落とし、自分の掌を見つめながら自嘲気味に笑った。

「確かに韓国人は日本人に対して、逆に日本人も韓国人に対して、必ずしもいい感情をもっているとは限らない。そのとおりだなって思っていたしね」

 ヒョヌの言葉を聴きながら、優奈も思い出していた。

 夢はいつか醒める――

 その想いに打ちのめされたあのころと、実は今がなにも変わってはいないということを。

 ここでの生活はいつか終わる。いつになるかわからなくても、その日はきっと来る。

 それでも、もうあのころには戻れない。ヒョヌとすれ違っていたあのころには。

 誰に認めてもらえなくてもいい。

 愛して愛されたこれまでの日々もまた、自分にとっては紛れもない現実なのだから。

 ただその思いを言葉にすることは躊躇っていた。

 彼の夢を、彼の将来を、自分が変えてしまうのではないか――。

 見えない未来がずっと怖かったから。

「優奈」

「……はい」

「泉ではじめて優奈に告白したときのこと、覚えてる?」

「……うん」

「今もその気持ちは変わっていないし、あのときの気持ちに嘘はない。優奈への気持ちをなかったことにできなかった。優奈が知ってる、向こうで付き合っていた以前の彼女のことがあっても……それでも、優奈を諦めることができなかった」

「…………」

「その決意を少しも後悔はしていない。僕は優奈を愛しているし、それは変わらない。俳優という仕事を続けていきたい。それもずっと変わらない。でもその仕事はひどく不安定で確約のない仕事なんだ。俳優だといっても、芸能界はいつどうなるかわからないところだし。オファーがなければ仕事にならない。優奈を見ていればどんな環境で育ったか聞かなくても想像できるからね。きちんとした家庭に育った、大切に育ててきた優奈を、そんな男に任せてもらえるだろうか。そんな立場の人間をどう思うだろうか。日本で待つ優奈の大切な人たちは、韓国人の僕を受け入れてくれるだろうか。そんなことを考えて、馬鹿みたいに焦ったりもした」

 今から考えてもどうしようもないことを――ヒョヌはそう言って静かに笑った。
 
 その気持ちは手に取るようにわかる。
 
 優奈はほんの少し視線を下げた。

 二人の間にまた静かな沈黙が降りてくる。

 漠然とした不安をお互いに感じながら、それでも愛し合ってきた日々を思いかえす。

 どうしたらいいかなんてわからなかった。どうしようもなかった。

 それほど大切で愛おしい人。

 うつむき加減の優奈の頭に、ヒョヌがそっと手を置いた。

 そのまま流れるように、優奈の艶やかな髪を撫でていく。

「でも――優奈がいなくなったあの日」

 その言葉に弾かれるようにして視線を上げると、真摯な光を湛えたヒョヌの瞳が優奈を見つめていた。

「初めて優奈のいない世界が見えた気がした。本当に目の前が真っ暗になったんだ。 優奈を失うかもしれない焦りで、自分でもびっくりするくらい動揺した」

 修平がいなかったらかなり無茶をしたと思う――

 そう言って苦笑いするヒョヌの顔から目がはなせない。

 愛する人を失うことの恐怖を、優奈は誰よりも知っていた。

 あの悲しみを、恐怖を、喪失感を、一瞬でも最愛の人に味合わせてしまった。

 今更ながら、そのことに胸が痛む。

「……それで、もう一度誓ったんだ」

 潤んだ瞳で見つめる優奈に、ヒョヌは微笑んだ。

「優奈」

「はい」

「ひとつ、約束をしないか?」

「……どんな?」



「僕と優奈と……この先どんな事があっても、一生一緒に生きていくって約束」




 そのとき、優奈は時が止まったのかと思った。

 一生一緒に生きていく約束――

 その言葉の意味を飲み込んで目を見張る。

 早鐘のように打ち始めた鼓動が耳の奥で鳴り響いていく。

 息を吸うように開きかけた優奈の口から言葉が零れ落ちる前に、ヒョヌがゆっくり語り始めた。

「ドレスも指輪も、誓いの言葉以外はなにも用意できない。2人の立場を証明するものは何もない。それでもこの約束に嘘はないから。僕の一生をかけて優奈を守ると誓う」

 真摯な光を宿したまま、ヒョヌは優奈を見つめていた。

「助かってもこのままでも大変なことに変わりはないけど、もし元の世界に戻って、僕の立場や優奈の状況が優奈を苦しめることがあっても、優奈には僕がいる。悲しんだり傷ついたりしないように守るから。 一生かけて守っていくから。……僕に、ついてきてくれないか?」

 低くやわらかいヒョヌの声が、優奈の心に雫を落とすように波紋を広げていく。

 それは優奈が口にできなかった、秘かな願い。

 どんなことがあっても、どんな状況でも、彼の傍にいたい――。

 その思いは彼を苦しめるのではないか。

 その思いはいつか彼の足枷になるのではないか。

 大切だからこそ、それが怖かった。

 自分を見つめる瞳から目を逸らすことができないまま、優奈は少し掠れた小さな声で呟いた。

「……ホントに……私でいいの?」

 せりあがる涙を湛えた優奈の瞳が小さく揺れる。

「優奈じゃなきゃ、ダメなんだよ」

 不思議だった。

 あれだけ迷って悩んでいたのが嘘のように、ヒョヌの言葉はすべてを払っていく。

 優奈の中にもう迷いはなかった。

 彼以外なんて考えることはできない。

 私はもう、あなたがいれば何もいらない――。

「ずっと……傍に居させてください」

 今にも零れ落ちそうな涙を湛えた瞳は、夕日を浴びてキラキラと輝く。

 ヒョヌはほっとしたように息をつき、ゆっくり優奈を抱き寄せてキスをした。

 優奈の頬へ綺麗な涙が零れ落ちる。

 長い長いキスの後、涙を零す優奈を胸に抱えた。









         ******









 どのぐらいそうしていただろうか。

 優奈の柔らかい髪に顔を埋めるようにして目を伏せていたヒョヌは、天井を見上げる。

 その目の端に影を感じ、ふと礼拝堂の奥に視線を流した。

「……いつ、から?」

 ヒョヌのその声に優奈が顔をあげる。

「……杏子!」

 名前を呼ばれた瞬間、杏子は珍しく気まずそうな視線を2人に投げかけた。

「い、言っときますけど!ヒョヌさんが来るより先にいたのは私ですからねっ!」

――どこから聞いてた?

 心の中で突っ込んでみるが、まさかの事態にヒョヌも言葉にならない。

 自分でも顔が火照っているのがわかる。日中に見たら紅くなっているに違いないと思った。

――夕暮れの時間でよかった。

 そんなことを考えていた。


 沈黙に耐え切れなくなった杏子は声を潜めたまま捲くし立てる。

「――なのに何、この空気っ!まるで私が覗いていたかのような気まずさ、この罪悪感!」

 心なしか動揺している杏子の様子に、ヒョヌも優奈も声が出ない。

 罪悪感は感じてたんだ――。

 言葉に出さずに同じことを思った2人が同時にため息をつく。

「でも悪いから邪魔しないようにって気配を消していたのに……最後に気付かれた」

 横を向いて肩を竦める杏子に、ヒョヌは思わず噴出した。

 確かに誰かいるかどうか確かめはしなかった。

 祭壇から一番奥の席に座る杏子は、たぶん横になって涼んでいたのだろう。少しだけ空気の変わる礼拝堂は、日中でもひんやりと静かな空間だから。

 そういえば自分も時々そんな風に横になっているなと思い出したヒョヌは、大きく息を吸ってから一息つくと杏子に声をかけた。

「それは、悪かった」

 自分たちと同じぐらい気まずさと恥ずかしさを感じたらしい杏子のめったに見られない動揺を感じて、なんだか急に可笑しくなってきた

 下を向いてくつくつと笑っているヒョヌの様子に、優奈が目を丸くしている。

 その様子に杏子も少し自分を取り戻した。

「まさか、プロポーズを目撃するとは思わなかったわ」

 意味深に笑って2人にウィンクをする。

「もう、杏子ってば――」

 まだ頬を紅く染めたまま、優奈も苦笑いした。

「ちょうどよかった、かな」

 杏子と優奈が疑問符を浮かべていると、ヒョヌは小さく笑いながら優奈の手を引いて杏子の前に立った。

「許しをもらえる?」

「……え?」

 驚いて同時に目を見張った優奈と杏子に、ヒョヌは微笑みかける。

「前に約束したよね。優奈との結婚の承諾は杏子ちゃんにも貰うって。 許してもらえるかな」

――いつそんな話をしたのだろう。

「そうなの?」

 優奈は杏子を見た。

 呆気にとられていた杏子は、ふっと力を抜いて艶やかに笑った。

「そうね……ホントに大丈夫?って念を押したいところもあるけど、さっきのプロポーズがちょっと感動的だったからいいことにするわ」

「ありがとう」

「優奈、よかったわね」

 杏子が嬉しそうに微笑んでいる。

 それは優奈が今まで見た中で一番優しい笑顔だった。

 挑みかかるようないつもの視線もこの時は影をひそめ、心からの祝福を讃えている。

 優奈が頷くと、その澄んだ瞳からまた大粒の涙が零れ落ちた。

 口元を押さえながら泣き笑いする優奈の頭に、ヒョヌはそっと手を乗せる。

 優奈を見つめるヒョヌの視線はどこまでも優しい。

 
 思いがけずヒョヌの決意を聞いてしまった杏子は2人の手をとって祭壇の前に並ばせた。 そして自分は十字のレリーフを背にして祭壇の後ろに立ち、厳かに語りかける。

「ここには2人が祝福を受けたい家族はいない。 神父も讃美歌もオルガンの音色もなく、ウェディングドレスもなければ指輪の交換もできないし、写真や映像に残すこともできない。いつかこの地を離れて元の世界に戻れば、約束の拘束は意味がないかもしれない。その決意の証明もできないかもしれない。いつかお互いが元の生活に戻った時――その約束は無効だと、世間の非難を受けるかもしれない」

 よく通る杏子の伸びやかな声だけが、静かな礼拝堂に響き渡る。

 夕闇を連れて来る直前の赤みを増した夕日が、3人の影を床に落としていく。

 突然の独白に驚きながらも、ヒョヌと優奈は杏子の声を静かに聞いていた。


「カン・ヒョヌ」

「え?……はい」

「大切な人たちの前であらためて愛を誓うその日まで、戻った現実にどんな困難が待っているとしても、あなたが愛する彼女を妻とし、今日のこの約束を生涯守ると誓いますか?」

「誓います」

「鳴澤優奈」

「はい」

「苦しいこと、悲しいこと、辛いこと。まだ見ぬ本当の現実に直面しても、あなたを生涯かけて守ると誓った彼を夫とし、彼を信じ、その手をとったことを決して後悔しないと誓いますか?」

「はい、誓います」

 2人の宣誓に満足した微笑を浮かべ、杏子は一瞬目を閉じた。

 そして少し潤んだ瞳で2人を見つめたあと、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「では、2人の友人であり最大の理解者でもあるわたくし相田杏子は、約束を知る証人として、2人にとってこの地が誓約の地であると証言します。また正式な結婚を迎えて祝福されるその日まで、2人を見守り、助け、どんな時も味方でいることをここに誓います」



 2人はこの地で出会い、この地で愛し合い、この地で誓いを立てた。

 この地に辿り着いたのはなぜなのか。そんなことは誰にもわからない。

 それでもきっとこの島が2人には必要だったのだろうと杏子は思った。

――その2人の想いを、2人の誓いを、私の全てをかけて必ず守ってみせる。

 優奈の幸せを、今度こそ守ってみせる。

 誰よりもそれを願っていたはずの、兄の代わりに――。




「2人とも私と約束したんですからね。 破ったらタダじゃおかないわよ?」

 挑みかかるようないつもの視線を投げかけて、杏子は不敵に笑った。

「では、誓いのキスを」

 杏子に促され、向かい合った2人はそっとキスをした。




 暮れてゆく夕闇の中の、たった3人の宣誓。

 何の証拠も、確証もない、3人の心にだけ刻まれた約束。






 それでも、この約束は絶対に忘れない。

 それぞれが心に固く誓った。
















             第1章<漂流編>・完



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Comment

うんうん^^
  • 2016/10/23 23:19
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