光と影のエチュード 4謎の書簡 Day:2013.04.04 20:00 Cat:光と影のエチュード 誓約の地 × 【侵蝕恋愛】〈ケイ視点〉俺は、なぜ? その男の視線は自分に向けられていた。 酷く整った顔をした男だった。 他に短髪の男が一人、そしてやけに色香を纏った華やかな女が一人。 その女に視線を向けると、小さく笑って肩を竦めている。――悪くない。 食指が動くような女だ。 気付くとその女を覆い隠すように、短髪の男が視界に入った。 男の美醜に興味はないが、この男の顔も整っている。日焼けした精悍な顔立ちに、人を食ったような笑みをぶら下げた男。 そして相変わらず……俺を値踏みする男の視線を感じる。 鬱陶しさに少しむっとしてその男を振り返った。「感謝してもらいたい」「なに?」 眉間にしわを寄せる男の視線は、無意識にあの女――ユナに向けられた。「なるほど。あんたが飼い主か」「飼い主?」「あ、彼は――」 微笑みながら俺を紹介しようとあの女――ユナが口を開いた途端、何かが俺に飛び付いてきた。 落とした視線の先に黒髪が揺れる。――紅い、瞳? 心臓がどくんと鳴った。 暖かい風が月の花を舞い上げる。抗らいがたい苦痛と共に、芳香が広がっていく。 放たれる甘美な香り、潤む瞳。 潤んだ紅い、瞳――。「貴様、何をしてる?」 そう言うと、そいつを無理やり引きはがしにかかる。「……知り合いか?」 短髪の男が問いかけているのを聞きながら、俺はもがいていた。 簡単に折れそうな華奢な身体をしている癖に、絡みついた腕はなかなか外れない。「初めて好きになった、人」「まだそんな事言ってるのか! 俺は娼婦に用はないと何度言ったらわかるんだ」「そんな……そんな上等なものじゃ、ないけど……」――またか。 こいつはいつもそうだ。自分を必要以上に卑下した物言いをする。 はじめて逢った時もそうだった。 そう思ったとたん、ふわりと濃厚な蜜の香りが辺りに広がった。「離れろ。……目障りだ」 うんざりしてそう言うと、少し寂しそうに笑った。「いくらなんでも、その言い草はないんじゃないか?」 その声に反応して視線をあげると、ユナの飼い主が俺の目に映る。 飼い犬は飼い主に似るという。いや、この場合は飼い主が犬に似たのか。 この男もなぜか俺を苛立たせる。「人の心配の前に、その女の躾をされた方がいいのでは?」 嘲笑という笑みを浮かべて、あからさまに挑発的した物言いに男の顔色が変わった。「初対面で随分失礼だな。彼女を犬猫扱いか?」 暫く黙っていた。しかし自然と口元が歪む。「……この女をどこで拾ったと思ってるんです?」 混んだ店内は満席だった。 俺の説明を聞いた後、忠犬は赤面し、飼い主は目を見張り、残った2人は噴き出した。 一通り説明が終わってもう用はないはずだ。 しかし店員に無理やり相席を勧められ、帰ろうとする俺の腕を必死に掴む紅い目の女に根負けして、しかたなく空いた席に着く。「優奈……」「知らなかったの。ご、ごめんなさい」 街娼の通りで男に声をかけるという旅先の無知が、飼い主には相当腹立たしいとみえる。「全く」とか「これだから」とか、うんざりするほどの説教が延々と垂れ流されていく。――これも躾だな。 そう思ったのでこの状況に逆らう気はない。 ここにいるのは年相応の女ではなく、幼い子供ですらない。 飼い主の怒りが静まるのをじっと待っている忠犬だ。 忠犬が神妙な顔をして項垂れている。 その横で……なぜかあの女も神妙な顔をして項垂れている。「なぜ貴様も一緒に怒られる必要がある?」 問いかけると、奴は上目遣いに俺を見た。「えっと、なんとなく……哀しそう、だから」「忠……ユナが?」「うん」「だから一緒に怒られてるのか?」「う、ん」 小さくなっている姿は、忠犬以上に忠犬らしい。 理屈がさっぱりわからなかったが、忠犬には何か感じることがあったようだ。「ありがとう」 そう言って微笑むと、あの女が少し照れたように笑った。「もう、いいんじゃねえの?」 珈琲に口をつけていると、短髪の男の声が聞こえる。 すっかり毒気を抜かれた飼い主も、肩を竦めて「心配しただけだから」と声をかけていた。「ほん、と?」「ほんと」「よかった、ね」「うん」 それから2人は、無意味な笑顔を繰り返していた。 気づくと向かいの席に着いている華やかな女が、頬杖をつきながらこっちを見ている。「お名前は?」「……ケイ」「はじめまして、ケイ。私は杏子。優奈は知ってるのよね?」 キョウコと名乗った女は、隣に座る短髪の男をシュウヘイと呼び、飼い主の男をヒョヌと呼んだ。 暫くすると、目の前に注文した珈琲が置かれる。「優奈を連れてきてくれてありがとう」 キョウコはそういって口の端をあげた。「別に……連れてきたわけではありませんよ」「でも、現に優奈はちゃんとここにいるわ」 だからありがとう――そう言って綺麗な色の唇が月を描いていく。 それに無言のまま会釈で返す。「危ない笑顔ね」 その言葉で自分が微笑んでいたということを知らされた。「……危ない?」「ええ。とても魅力的な。女が放っておかなそうだわね」 そう言いながら、興味がありそうな、それでいて興味のなさそうな視線を俺に向ける。 不思議な女だ。「貴女も?」 問いかけると、「どうかしら?」とキョウコが綺麗な首を傾けた。 歳は30を超えてはいないだろう。それでも熟れた果実を感じさせる女だった。 張りを失わず、それでいてその内に熟れた果肉と果汁を滴らせ、崩れ落ちる直前の濃蜜な芳香を漂わせていている成熟した果実。 見た目は華やかで品があり、それでいて決して型に嵌まらない奔放さを感じさせる。 この手の女はいい。 刹那的な行為に溺れず、後腐れも少ない。 「貴女もそうでしょう?」「私?」「男が放っておかなそうだ」「貴方もかしら?」 意味ありげに微笑むキョウコに、無言のまま視線を留めた。「おいおい。いつまで2人の世界を構築していやがる」 吐き出された声にキョウコが肩をすくめる。「あら。やきもち?」「やきもち? 子供相手に?」 シュウヘイと呼ばれていた短髪の男は、口の端をあげた。――なるほど、そういう関係か。「失礼」 儀礼程度に視線を落とすと、シュウヘイは肩を竦める。「やめとけ。お前が太刀打ちできるような女じゃない」 呆れたように笑うシュウヘイに少しうんざりした。 男も女も「所有する」ことに拘る。肉体を、思考を、時に心までも所有できる、その権利があると思い込む。 ある時はそれを「庇護欲」と呼び、ある時は「絆」と呼ぶらしい。 「愛情」というオブラートにくるんだ、根源的な欲望。「俺のものに手を出すなってことですか」「違う」 珈琲をすすりながら即座に否定したシュウヘイを振り返った。「違う?」「世間はお前が思っている以上に広いぞ」「……何の話しをしているんです?」「上には上がいるって話しだよ」 無駄に余裕をかますシュウヘイの言っていることは、さっぱりつかめなかった。 それにしても――。――いつまでやってるんだ? 一連の紹介に全く加わらず、2人が笑顔を交わしている光景を目の端で捉えていた。 そこだけ空気が違う。 ユナは嬉しそうに頬笑み、あの女が恥ずかしそうにほほ笑む。それを見てまたユナが頬笑み、あの女が笑う。 無意味に笑顔だけで会話をするという芸当を延々と繰り返している。……なぜ話さない? 『今日だけ〈ラ・ルーナ〉で給仕をしているんですよ』〈太陽の家〉の院長であるあの男に書類を届けた時、くだらない社交辞令の合間で語られた話。『急用ができてしまった子から、かわりにどうしてもと頼まれたそうです』 この時期は混みますからねと、聞いてもいないのにダラダラと話していた。『ちょっと心配ですけどね。上手くやれているのかどうか――』 そう言って、何故かそのことを嬉しそうに語っていた。 まるで自分はこの女のことを何でも知っているのだと、それが当たり前のことだとでも言いたげだった。『様子を見に行ってあげたいんですが、今日は色々立て込んでて』 酷く残念そうな男が遠い眼で何かを思い出していた。 確かに給仕の仕事など、この女に似合わない。 そう思いながら、なぜかあの男の話に……あの男に腹が立った。――そのお前が、何故この席で座っている? おかしな2人に呆れながら、思い付いた疑問を口にした。「その格好で、貴様は何をしている?」「え? あ……休憩、中」「休憩? ここで?」「うん、そう」 言われて思い出したのか、そろそろ行かなきゃと慌てて席から立ちあがる。「あの、どこが、いいかな」 その視線が宙をさまよう。 相変わらず要領を得ない唐突な言葉だったが、キョウコには通じたようだ。 ここに泊っているからと、メモを渡しながら話しかけている。「あなたが感じる、この街らしいところ」「……わかった」 およそ「わかったのか?」と聞き返したくなるほど不安げに頷くと、店の奥へと駆けだしていく。 なんとなくその後ろ姿を見送った。 俺もここに居なければならない理由など無い。 席を立とうとした俺を無理やり引き留めた忠犬の隣で、飼い主が露骨にため息をついている。 その顔に張り付いた「まだ居る気か?」という表情を読みとった。 イチイチ癇に障る男だ。 俺は子供にも犬にも興味はない。 だが期待を裏切るのは本意ではないと思い直し、もう一度珈琲を頼み直した。 いつも以上に穏やかな午後。 温かい風が吹くたびに、フィオラの濃厚な芳香が漂う。 淹れ立ての珈琲を飲みながら流した視線の先では、あの女が忙しそうに働いている。 それから暫く4人は旅行の行程を話しあっていた。「7日後はファルス家主催のパーティーだから、その日は予定を早めに切り上げようか」 突然聞こえてきた憶えのある単語に、不覚にもカップを落としそうになった。「ファルス?」「そう。招待されているの。是非お寄り下さいって。7日後にパーティーが開かれるんですって」 一緒に行く? というユナの問いかけを無視してその意図を考えていた。「あり得ない」 我慢できずに呟いた。 それを聞き咎めたユナが、バッグの中から1通の書簡を取り出している。「でも……ほら。ちゃんと招待状もあるのよ?」「偽物だ」「偽物?」「中身も見ないでなぜわかる?」 ユナの飼い主は、相変わらず警戒しながら俺を見ていた。「あの館の当主は、そんなことをする人間じゃないですからね。絶対に」 呆然とする彼らの前で、少しだけ笑った。「まだ……本当に偽物か決まってないだろう?」 そんな飼い主の言葉に「ちゃんとファルス家のご当主に聞いてみようか?」 忠犬が応える。 教えてやる気はなかった。無視するつもりだった。 だがそうもいかないだろう。 面倒なことになる前に手を打つ必要が出てきた。「その必要はない」「なぜ?」――まただ。 どこまで覗きこむつもりだと思うほど、不思議そうな眼をしてユナが俺を見ている。 耐えられずに目を逸らしても、意識が絡め取られる。「ここにいる」 動揺する気配を悟られないよう、細心注意を払って吐き出した。「どこに?」「……俺の名前は『ケイ・ルーシェ・ラ・ファルス』」「え?」「俺が、その『ファルス』家の当主なんですよ」こんばんは、YUKAです。今回も私の敬愛するcanariaさんが運営するブログ「音速形而少年」で綴られている【侵蝕恋愛】と、私の稚拙小説「誓約の地」のコラボ企画です!やっと全員集合いたしました。ここまでに4話(笑)そして今回も「ケイ視点」です。実は今回一番気にして書かせて頂いたのは、ケイが呼ぶセイレンのこと。【侵蝕恋愛】を既に熟読されている方はご存知かもしれませんが、本編でケイとセイレンはまだお互いの名前を知りません。出逢って急速に惹かれていく2人ですが、ココはもうそのまま知らせずにいこうと決めていたので、随分悩みました。で、杏子の問いかけから始まる自己紹介の間……優奈とセイレンは頬笑み返し中です(笑)実際にお話が進むと、状況から名前を知りえるだろうという矛盾も孕んでいますが、そこは筆者権限をフル稼働して絶対に呼ばせません!(決意表明)当然、誓約の地メンバーもケイとセイレンが2人揃った場面で名前を呼びません(断固たる決意)そして最後のケイの本名。【侵蝕恋愛】を読まれている方はご存じだったでしょうか?^^私はケイのプロフィールで知っていましたけどね! その後で合っているかどうかcanariaさんにも確認しました(笑)ココで使いたかったのです。この機会にケイの名前をご確認ください^^次話。駄文長文の私でも「さすがに無理だな」と思うほどあまりにも長くなった4話は、1/2に分けて続きを5話として掲載しました。ですから次話もまだ<ケイ視点> そして―――!!すみません!もう本当にすみません!!!(先に謝る)ビックリするほど蛇足的内容な次話。遊び心満載だと好意的に受けて貰えることを期待しつつ。ここまで読んでくださって、ありがとうございました! 関連記事 光と影のエチュード 6月光トカゲ 光と影のエチュード 5謀略の罠 光と影のエチュード 4謎の書簡 光と影のエチュード 3紅い瞳の少女 光と影のエチュード 2危険な女 URL Comment(4)Edit