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誓約の地/漂流編・136<生誕(3)>


誓約の地/漂流編・136<生誕(3)>



より強くなった想い。大切な相手。そんな2人に吹き抜ける隙間風。


それは、愛するが故に。



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「どうしてなの?」

 浜辺に腰をおろして海を眺めていたヒョヌが振り返ると、杏子が隣にやってきていた。

 相変わらず気配を消して動くんだなと、半ば感心して杏子に微笑み返す。

「何が?」

 杏子はヒョヌの隣に腰をおろし、手に持っていたベリーをわけながらヒョヌを見る。

「抱こうとすれば自分が思い出すから嫌なの?  ホントは他の男の前で平気で服を脱ぐような女が嫌なの?」

「……杏子ちゃん?」

 杏子の唐突な切り返しはいつものことだが、それでも驚いた。

「何を言って……」

「実は私が未遂だって言ったのは嘘で、優奈を庇ってるだけで、犯されたのかもしれない……自分から抱かれたのかもしれない。そんな女、穢らわしいとでも思ってるの?」

 一瞬茫然としたヒョヌは、杏子の言葉の意味を理解して目を剥いた。

 その瞬間、ヒョヌから怒気が立ちのぼる。

「いくら杏子ちゃんでも言葉が過ぎるよ」

 その声はひんやりと鋭い。

「そんな風に思われているなら心外だ。俺がいつ、そんなことを言った?」

 冷静に言葉を紡ぐヒョヌの声は、一切の感情を切り取ったように冷たかった。相手が男なら胸ぐらを掴んでいただろう。

 しかし、かろうじて押し留めているヒョヌの感情を感じても杏子は怯まなかった。

「説明してほしいのよ」

「何を?」

「優奈はそう思ってるから」

「なっ!……え?」

 次の言葉が見つからず、思わず腰を浮かしかけて絶句するヒョヌに杏子は肩を竦めた。

 しかし杏子のその眼はそれが真実だと告げている。

 ヒョヌは杏子の顔を注視したまま声も出ない。

「……優奈、が?」

 かろうじて言葉にした疑問でヒョヌ自身が動揺していく。

 そんな様子をよそに、杏子は海へ視線を向けて話し続けた。

「彼が気にしてるのはたぶん私の気持ちで、身体の傷は癒えても男として自分が私に近づいたら、あの日を思い出すんじゃないかって心配してるんだろう。……そう言ってた」

 心を見透かされたような言葉に動揺しながら、それでもヒョヌは黙っていた。

「でもホントは、そう思われてるんじゃないかって不安になってる」

「そんなわけないだろう?」

 呆れたような響きを伴った声でヒョヌが即答すると、杏子も黙って頷いた。

「私もそう言ったわ。そんなわけないって。でも優奈は……笑ってた。彼がホントはどう思っているかなんてわからないって。どんなことを想っていても、自分のためにそんなことないって言うに決まってるってね」

「…………」

「抱いてって言えば抱いてくれる。抱きしめてほしいって言えば一晩中優しく抱きしめてくれる。ヒョヌさんが本当はどう思っていても。だから不安で言いだせずにいる」

 杏子の声に反応するかのように、旋回するカモメが鳴き声をあげた。

 暮れはじめた日差しが、ゆっくりとオレンジ色に染まっていくのどかな景色。

「ずっと優奈を避けているでしょう?」

「…………」

「いいえ、違うわね。避けているんじゃない。一緒にいるもの。楽しく会話して、協力し合って。今までと変わらない。だからみんなも気づかない。でも優奈は当事者よ。みんなが気付かないことも気付くこともある。まして……恋人同士のことだけにね」

「…………」

「何もなかったなら聞けるかもしれない。どうしたの? って。でも今は、原因ならいくらでも思い付く。考えれば考えるほど悪い方にね。自分に対してのヒョヌさんの言動、行動。そのどこかに遠慮を感じてる。それに気付かないほど、あの子は鈍くないわよ」

「…………」

 微かに聞こえる波の音は、いつもと変わらないリズムを刻んでいる。

「自分の体の、自分の見えない処に傷が残っていないか聞いてた。なぜあれから抱いてくれないのか、求めて貰えないのか。あなたの本音が解らなくて怖いんだと思う。だから愛されたいのに、愛してほしいと言えないでいる。確かに……あんなことがあって躊躇するのはわかる。それは優奈を想ってのことだってこともわかってる。でもヒョヌさんが無理強いをする人じゃないって思ってるから言うの。みんなの前で、特にコウジの前で遠慮するのはわかる。でも、様子を見るにしても恋人同士が同じ部屋で2カ月近く……少しばかり長いんじゃない?」

 杏子の問いかけにヒョヌは暫く答えなかった。

 少し微笑んでいるように見えるヒョヌの横顔が、寂しそうに笑っていた優奈と被る。

 掬いあげた砂のように零れていく時間の中で、杏子はヒョヌの答えを待っていた。

 そしてやはり彼もまた、その想いの強さゆえに見失っているのだと確信していた。




「……泣いてたんだ」

 おもむろに口を開いたヒョヌは、自分の手のひらを見つめながら語り出した。

「夜中、ベットの中でね。僕に背を向けて、声を殺して」

 あれは優奈が目覚めてから何日目のことだったか――正確には覚えていない。

 それでもすでにコウジへの断罪が終わり、身体の傷は癒えたと感じはじめた頃だった。

「肩が震えててさ。だから優奈のベットに腰掛けて肩に触れた。背中をさすってやるだけのつもりだった」

 ヒョヌはその手を握りしめ、視線を海へと移した。

 目の前の海は果てしなく広がり、限りなく深い。

 癒されるはずの波の音。だがその広さも青さも眩しさも、今はどこか不安に感じる。

「触れた瞬間、優奈の身体が震えたのがわかった」

 思い出すだけでヒョヌの手も震えていく。

 あの時の彼女の震えが、まるでその手に残っているかのようだった。

「いきなりでビックリしただけかもしれない。でも……怖かったのかもしれない。そう思ったらそれ以上触れられなかった。隣に座っても、どんなに近づいても、触れることが出来なくなった」

「……………」

「怖くなったんだ。情けないことに」

 自嘲気味に笑うヒョヌの言葉を杏子は黙って聞いていた。

「彼女への気持ちは変わってない。むしろ前より強くなってるぐらいだ。ずっと変わらず優奈を愛してる。もちろん、優奈が欲しいとも思ってるよ。自分でもビックリするぐらい、優奈に夢中なんだ」

 その気持ちに嘘は無かった。だが優奈の前ではいつも臆病になる自分がいる。

 そう言えば告白する前もそうだったと、あの頃を思い出した。

 気持ちがつかめず不安で、彼女の気持ちばかりを追い掛けていた頃。
 
 その度に気持ちが揺れて、そんな自分に憤っていた。

 付き合って変わったと思っていたのに、また同じことを繰り返している自分が情けない。

 その情けなさを彼女の親友に吐露する自分もまた、なんだか間抜けだなと考えて笑ってしまう。

 それでも杏子に嘘は吐かなかった。いや、吐けないと言った方がいいかもしれない。

 杏子は優奈の親友であると同時に、優奈を守りたいと思う同士でもあると感じているからだ。

「杏子ちゃんが言っていた通り、優奈を疑ってなんかないし、疑う事すらしていない。そんな事が出来る人じゃない事も解ってる。僕をホントに愛してくれてることも解ってるから」

「…………」

「でも、だから余計かな。優奈が傷つくのが怖い。もちろん、優奈が欲しいと思うことはある。でも抱きたいって思ってるわけじゃない時でも、ただ手をとって歩くだけでも……優奈は僕の手を怖がるんじゃないか、怖がらせるんじゃないかって躊躇する。自分が優奈を傷つけるんじゃないかって不安なんだ。優奈で一杯になりすぎて自分で自分が怖いんだよ」


 そう言って海を眺めるヒョヌに、杏子は大きくため息をついた。

 自分の手が優奈に恐怖を感じさせたのではないか、自分の欲望が優奈をまた傷つけるのではないか。

 だからこそ迂闊に手を出せなくなってしまったヒョヌの気持ちが、杏子にも痛いほど伝わってきた。

 あんなことがあって、愛する彼女の心理を心配するのは当然で、そうでなくてはかえって困る。

 心の傷は目には見えないからこそ。

 だがそれもいつか乗り越えなければ、溝は広がってしまう。

「あなた達は……全く」

 その言葉にヒョヌが乾いた声で笑う。

「それで優奈を追いこんでたら意味が無いんじゃないの?」

「……そうだな」

「でも、怖いのね」

 自嘲気味に笑うヒョヌを見て、杏子はもう一度ため息をついた。

 向き合った心にすれ違う想い。

 思っていた通りだった。それでも何を言っているのだと笑い飛ばすことなど出来ない。

 相手を想うからこそ臆病になるその気持ちは、決して愚かなものではないはずだ。

 ただお互い、そのキッカケが掴めずにいる。

『――キッカケは必要だと思う』

 コウジへそう手を差し伸べた、あの日の優奈の顔が浮かんだ。

「……人には用意するくせに、自分のことになるとダメなのよね」

 独り言のように呟く杏子の顔にヒョヌの視線が刺さる。


 いや、きっと自分のことだからダメなのだろう。誰でもきっとそうなのだと思う。

 優しい臆病風が吹き抜けて、心が少し風邪を引いただけのこと。

 そういう意味では病なのかもしれない。

「忘れてたわ」

「……何を?」

「私は医者だものね」

「――――?」

――風邪を引いたのなら治さなければ。そして治療には薬がいる。

 そんなことを考えて、杏子は小さく笑った。

「処方せんがほしい?」

 疑問符を浮かべるヒョヌの顔を見て杏子はもう一度笑った。

「――5日後」

 ヒョヌは眉間にしわを寄せて、今度は「何が?」と声に出して問いかけた。

「優奈の誕生日よ」

「誕生……日?」

 目を見張って驚くヒョヌに杏子が笑いかける。

「ミラさんが割り出してカレンダーを作ったの。さっき出来上がったって教えて貰ったわ。だからたぶんあってる。完璧じゃないかもって言ってたけど、これからそれをもとに行動することになるでしょうね。だから9月9日は5日後」

「9月9日……知らなかった」

 思わずそう言って、ヒョヌは何故か笑ってしまった。

 日付がということではない。そもそも優奈の誕生日を知らなかったのだ。

 これだけ一緒にいるのに、そう言えばそんな基本情報の交換をしたことが無かったと思い返す。

『ヒョヌさんのファンなんです』

 そう言って笑っていた優奈を思い出した。だとするなら、自分の情報を優奈はきっと知っている。

 だから聞かれなかった。

 だから聞くことも無かった。

 好きな人の誕生日を知らない――この島で必要にかられなかったせいもあるが、随分と間が抜けている。


「伝えたわよ」

 杏子は立ちあがって身体と手についた砂を払い、ヒョヌを見下ろした。

「教えてくれてありがとう」

 ヒョヌは無意識にそう告げていた。

 キッカケが無かったとはいえ、随分酷い彼氏だとあらためて思った。

 軽く落ち込んでいるヒョヌに視線を流した杏子が口の端をあげる。

「風邪は万病のもと」

「え?」

「優奈を取り戻して」


 それだけ言うと、杏子は教会へと戻っていった。











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Comment

かなりデリケートな問題ですねこれは……。

杏子ちゃんはああいったけれど、それだけでどうにかなる問題とは思えないのであります。

やはり性にかかわる犯罪は人の生活をぼろぼろにしますね……(><)
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