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【花魁杏絵巻】5 望郷への約束




【花魁杏絵巻】



この話の元になった素敵なイラストはプロローグから

 
【プロローグ】 【2】 【3】 【4】 

*注*
歴史上の時代設定や呼称などは出てきますが、史実に基づいた歴史小説ではございません。
また、病状の期間・症状については個人差があるものです。
あくまでも番外編/歴史パラレル、完全にフィクションですので
そのおつもりでお読みください。






***





千里を見通す天眼太夫(てんげんだゆう)が、当代一の太夫と謳われ権勢を誇る少し前

空木太夫(うつぎだゆう)は、傾城と謳われる素晴らしい遊女でありました。


禿の頃より、その美貌を褒め称えられた少女の名は「さと」


のちに空木太夫と名付けられ、

唄も踊りも教養も 空木の肩に並ぶものなし

その誉れを一身に受けていたのでございます。



空木は花の名

白い小花が幾重にも連なり、慎ましくも可憐な春の花。




そのお方が天眼太夫とどのような間柄であったのか

少しお話いたしましょう。




飾り12


*望郷への約束*





 あの夜若様を呼んだものはなんだったのか、それはわからない。

 でも何かが動いたのは間違いなかった。

 それは凶の前触れか、吉の兆しか――。

 


     ***




「随分長いお散歩でありんしたねぇ」

 小さく笑う太夫に若衆が耳打ちをする。太夫はそっと頷き、若衆を外へ促した。

 蒼い顔をしたまま立っていた陽之進は、太夫を見降ろしたまま問いかける。

「なぜ、空木太夫(うつぎたゆう)をあんなところに留めておくのだ」

 陽之進の問いかけに、太夫はふと視線を上げる。

「姉さまは、何と申しておりんしたか?」

「何も……。ただ多野里(たのさと)の生まれと聞いただけだ。懐かしいと言っていた」

「で、ありんしょうねぇ。姉さまにとって郷里は、優しい想い出でありんした」

 微笑む太夫に苛立ちながら、陽之進は問い詰める。

「はぐらかすな。なぜ、と聞いているのだ!」

 それから暫く、二人は無言のまま見つめあう。

 珍しく折れて口を開いたのは天眼太夫の方だった。

 陽之進に座るように促し、ゆっくりと向き直って話しかける。

「空木姉さまは、私の姉太夫でございんした。わっちがまだ禿(かむろ)のころから、目をかけて育ててくれんした方でありんす。姉さまもわっちも、ここの生まれではありんせん。右も左もわからず、怯えて震えていたわっちの面倒をみてくれた優しくて美しい姉さま。新造として取り立て、太夫になるべく育ててくんなましんした。わっちにとって、育ての親とも思うべきお人でありんす」

「ならば余計ではないのか? そのような人を、なぜあのようなところに囲っている?」

「……生きていてほしいからでありんす」

「生きて? あのような場所で、あのような姿で、あの扱いで生きていてほしいというのか?」

 苦しそうな陽之進の言葉に、太夫が呟くように話しかける。

「ぬし様。遊女の末路をご存じでありんすか?」

「……末路?」

「様々な理由で遊女の生涯は短いもの。花の命と同じよに、その限りを尽くして夜に咲く遊郭の夢の華も、いつかは枯れるのでございんす。命を燃やして散った華は、投げ込まれて朽ちていくのが定め」

「投げ込まれる?」

「生きて出ること叶わぬ遊女も、その命が尽きた時、草木も眠る丑三つ時には外に出るのでありんす。参る身内もいない遊女に、墓を建てることはありんせん。人知れず寺の前に投げ込まれ、大きな穴に投げ込まれ……身寄りのない遊女の眠る浄閑寺は、投げ込み寺でありんす」

 訝しげに思案する陽之進を見つめ、太夫は淡々と語り続ける。

「姉さまには、心に決めた人がおりんした」

「…………」

「太夫の身請けは容易ではありんせん。姉さまの想い人は、お暮らしぶりも慎ましやかな方でありんした。とても姉さまの身請けはできんせん。ならば年季明けを待って、夫婦(めおと)になろうと約束を交わしておりんした」

 その男はどうしたのだと、陽之進は聞かなかった。

 あのような姿を見た後で、それは酷というものだろう。

 太夫は小さく息を吐いた。

「随分前から体の不調を訴えておられた姉さまを知っていんしたが、年季明けを楽しみに働きどおしておりんした。鳥屋につくは遊女の常、特別扱いされんせんのでありんす。病が進み、はらりと倒れたのは二年前――。ひととき養生しておりんしたが、それでもただでは休めんせん。この楼閣の主である忘八(ぼうはち)は……そんな姉さまに、更なる借財を上乗せしたのでありんす。姉さまの身内はすでにこの世に無く、頼る者とてありんせん。病をおして働き続けるしかなかったのでございんす。

……でもそれもつかの間。身体に現れた醜い瘤(こぶ)のせいで働くことも出来なくなりんした。瘤はやがて破れ、その後はただれた瘢痕(はんこん)が残りんした。それから更に症状は進み……病で働けなくなった遊女の居場所はありんせん。ここから追い出されるのが常でございんす。でもここを出て、どこへ行けというのでありんしょう。このような姿では合わせる顔がないと、姉さまは想い人ともお別れしんした。病を抱える姉さまには、もうどこにも行く宛がないのでございんす。

姉さまのお馴染様のなかには、手を差し伸べようとしてくださったかたもおりんしたが、心に決めた人がおられる姉さまは、別れた後もそなたの手をよしとはされんせんでありんした。身体は売っても心は売らぬ、遊女の意地でありんす。

そのことを今でも忘八は快く思っておりんせん。働くことも出来なくなった姉さまに、借財の形をどうするのかと詰め寄り――傾城を誇った名のある太夫ならば、あのような姿でも稼げると……姉さまを見世物小屋に売ろうとしんした。その時のやり取りを、わっちは生涯忘れんせん」

 言葉もなく、陽之進の目が見開く。

「そして姉さまは……醜い姿を晒すのは嫌だと、自害なさろうとしたのでありんす」

 太夫の眼の奥が激情で揺れる。

「空木姉さまは、えらく綺麗な素晴らしい太夫でございんした。唄も踊りも教養も、その肩に並ぶものなしと謳われ、傾城を誇った遊郭の華。それでも花の命は短いものでありんす。遊女の平均寿命は二十一、二だと申しんす。生を五十年とすればその半分、いえそれ以下。姉さまはもうすぐ、二十六。病でその生が燃え尽きるまで、それほど時間は残されていんせん。それでも姉さまは、長生きしすぎたと言われんした」

 長生きのはずはない。

 それどころか儚く短い生涯のはずだった。

「姉さまを止めたのはわっち。どんな姿になろうとも、どのような咎を受けたとしても、わっちを導き支えてくださった方を売るわけにはまいりんせん。姉さまがここに留まる代わりに、借財はわっちが賄うことになりんした。それでもお客人の目には触れさせられぬと、あの部屋を宛がわれたのでございんす。生きていてほしいと願うのは、わっちの身勝手でございんしょう。わっちの迷惑になると、姉さまはそのあとも、命を捨てようとなさいんした」

 振り絞るように話す太夫が微かに震えた。

「今更あの強欲が……墓を建ててやると言わしんすのを、誰が信じるでありんしょう。せめて最後は郷里に還りたいと言わす姉さまを、丑の刻にひっそり投げ込むつもりでありんす。でもそのような……そのようなことは、わっちがさせんせん」

 太夫は小さく笑った。

 それは憂いと哀しみを浮かべた、寂しい笑顔であった。

「身も心も疲れ果てた姉さまは、全てを諦めてしまわれしんした。ただ――わっちが寂しがらないようにと無理を押して、最後の時までわっちの傍にいてくれるのでありんしょう」

 だから最後の願いくらいは叶えてやりたいとほほ笑んだ太夫の傍で、陽之進は俯いたままであった。



 生きて出ること叶わぬのなら、せめて終わりは懐古(かいこ)の地へ

 誰に憚(はばか)ることもなく、誰にも邪魔などされぬよう



 時が過ぎ、夜が明けていくまでの間、二人は黙って酒を酌み交わしていく。

 重い雲に耐えきれなくなった空は、いつの間にか泣きはじめていた。






     ***





 太夫はふっと肩の力を抜いた。

『事情も知らない者が差し出がましいことを申し上げた。どうか許してほしい』

 あの後、何度もすまないと頭を下げる若様は、両手が白むほど握りしめて項垂れていた。

 そして姉さまを必ず郷里へ送り届け、手厚く葬ると約束してくださったのだ。

 あの時の哀しい顔は今でも脳裏に焼きついている。

『私のせいで、太夫に咎が及ぶだろうか?』と、心配そうに揺れていたあの優しい目の色と共に。


 半月後、思っていたより安らかに逝った姉さまを密かに荼毘(だび)に伏した。

 そして、約束は果たされた――




「お固い若様にも、惚れたはれたの艶話があるとはねぇ……」

 突然聞こえてきた馴染みのある声に、太夫はハッと我に返った。

 いつものように陽之進が帰った後、暫く物思いに耽っていたらしい。

 声のした方に視線を流すと、窓のある欄干(らんかん)に腰をかけた男がそこにいた。

「修――」

 太夫の声に、男は肩をすくませる。

 どう考えても外から来たとしか思えない、太夫の二階奥座敷の窓に腰かけていた。

 しかし男の姿を見ても太夫は驚かない。

 太夫の座敷に、金子(きんす)も払わず忍びこむのは御法度。

 見つかればきつい仕置きが待っている。

 しかし遊女を見張る「張番」にさえ、かつて一度も見咎められたことはなかった。



 男は名を修衛門(しゅうえもん)という。

 ある日ふらりと遊郭に顔を出した修衛門は、その見目の良さと話の巧さで遊女たちにも憶えが良かった。

 その居出立ちは武士のそれではなく、どちらかというと遊び好きな町人崩れという姿ではあったが、その顔は容姿端麗というにふさわしい。

 自力で稼いでいる様子もない割に金払いが良いことから、盗賊稼業で稼いでいるとか、渡世者ではないかとか、噂が後を絶たない。

 しかし男の立ち振る舞いにはどこか品があり、その矜持(きょうじ)は潔い。

 実はどこぞのお大名の非嫡子だの、放蕩三昧で見限られた道楽息子だのいう噂話もあったが、目の肥えた遊女にも出自のほどは判然としなかった。


 人目を引く容姿にもかかわらず、いつの間にか現れ、ふと消える。

 気さくな物言いと愛嬌の良さで、どこにでもいつの間にか溶け込み、馴染んでしまう。

 気配も音も立てず動く身のこなしは、まるで忍のようでもあった。


 

 ひじ掛けにもたれて寛ぐ姿のまま、愛用の煙管(きせる)を燻(くゆ)らせた太夫はにんまりと笑った。

「いい所に来たね。鳴澤屋のおゆなさんの様子、ちょいと見てきておくれよ」

 いつもの廓言葉(さとことば)を使わず、太夫は話しかけた。

「お大名と町人の色恋なんざ、いくらお杏(きょう)でもどうにかなることじゃあねぇだろう?」

 他人の目が及ばない奥座敷では、修衛門も太夫を太夫と呼ばない。

 もちろん馴染んだ雰囲気を他人に気取られることをしなかったし、太夫の仕事の邪魔もしない。

 また太夫が男の遊びを咎めることも無く、いつもどうしているのか尋ねることもしなかった。


 二人の間柄を知る者はいない。

 間男というよりは、同士、同族、同類――という艶のない形容が並ぶ。

 現にそこには全てを知り、許容する慣れた者同士の気安さがあった。

「……気がかりなことがあるんだよ」

「気がかり?」

「まぁね。あの日、あたしの眼に影が揺れた。……取り越し苦労なら良いんだけどね」

 修衛門は「なるほどな」と呟いたあと暫く黙った。

 太夫の眼が並ではないことはよく知っている。

「天下の太夫の奥座敷から、明け方前に帰っちまうような意気地なしの朴念仁(ぼくねんじん)に、なんでそんなにこだわるのかねぇ」

 そんな修衛門の呟きに、太夫の眼の奥がきらりと光る。

「なんだい? 妬いてるのかい?」

「おいおい。何言ってやがるんだか」

 呆れた口調で片眉を上げる修衛門に、太夫は口の端を上げて応えた。

「若様には、大きな借りもあるからね」

「借り?」

「まぁね」

 その太夫の顔に、一時だけ陰りが覗く。

 それを見逃すほど修衛門の勘は悪くなかったが、肩をすくめただけでそのことには触れなかった。

「ま、爺ぃどもへ使いに行かされることに比べりゃあ、あの可憐な娘のとこに行く方が何倍も楽しいだろうからな」

 修衛門は道中での娘の姿を思い返していた。

「言っとくけど、手を出すんじゃないよ?」

「何の冗談だ? そりゃあ」

「好みのようだからさ」

「なんだ、妬いてるのか?」

 お返しと言わんばかりに投げかけてくる言葉に太夫は苦笑する。

「いいから。とっとと行って様子を見てきておくれよ」

「見たからって、どうとなるものでもないだろうが」

「あたしは籠の鳥さ。ここから娑婆に出ていったら大騒ぎになるだろう? あたしの代わりに様子を見てくれればいい。どんな娘でどんな暮らし振りか。あんたの眼で見て感じたことを教えてほしいのさ」

「俺の主観がはいっちまうかもしれねぇぞ?」

「それでいい。それが一番信用出来る」

 そう言って太夫が微笑んだ。

 そこに疑念は一切ない。

 千里を見通すと言われる天眼太夫が言外に含んだのは、最大限の信頼――

 修衛門はちらりと太夫を見たあと、苦笑して肩をすくめる。

「さすが吉原随一の太夫になっただけはある。人をのせるのが上手いねぇ」

 煙草盆(たばこぼん)の端でカチンと煙管(きせる)を弾いた太夫が小さく笑った。

「お杏の根っこは昔のまんまだけどな」

 修衛門の言葉に、互いの視線が絡み合う。


「で、いつから?」

「今、すぐにでも」

「人使いが荒れぇなぁ」

 予想していた言葉にため息をつく。

「今更。いつものことだろ?」

「ちげぇねぇ」

 笑いを含んだその言葉が早いか、修衛門は来た時のようにふわりと部屋から消えた。
















【花魁杏絵巻】*6・業火の残り火*へつづく
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  • 2012/11/22 18:43
鍵コメGさん
鍵コメGさん、こんばんは^^
コメントありがとうございます♪
お返事が遅くなって申し訳ないです^^;;ちょっとバタバタしてました(笑)

おばあさまのお話は覚えています。
そして、そのおばあさまのことを心配して優しい思いを抱いている鍵コメさん^^

私もほんの少しですが母方の祖母と暮らしていました。
そしてその祖母も身体を壊し、晩年はそのほとんどを病院で過ごしていた記憶があります。
とはいえ、私自身が幼かったので確かな記憶ではないのですが。

そうですね。
その生活が楽しいかそうでないかは、ご本人にしかわかりませんね。
引き取れば家族であってもとても大変です。
私の母は暫く引き取って看護してましたが
面倒を見ている母だけでなく、その生活を支える父もやはり大変だったと思います。

他人の中で生きるというのは寂しいし、気兼ねもあるかもしれません。
でも身内だからこそ感じてしまう気兼ねもあるかもしれません。
病気の人間を介護するということは、相当の大変さがあると思うので
どうすればいいかはわかりませんが、
時々顔を見せにホームへ立ち寄る鍵コメさんの想いは、必ず伝わっていると思います^^
何もしていない、出来ない、そうおっしゃるかもしれませんが
私はそんな風に想い、悩み、考える鍵コメさんは、本当に素敵な人だなと思います^^

天眼太夫にとって空木の姉さまは、唯一の身内と言ってもいい人でした。
遊郭という見知らぬ世界で初めて見た、素敵なお姉さん。
卵から孵ったばかりのヒヨコが動くものを親と思うように
太夫にとっては親でもあったのかもしれないですね。

私もとどまっていることが、空木太夫にとって幸せだったかというと……わかりません。
しかし天眼太夫のことを、やはり身内同然に思っていたなら
最後の時間を彼女の傍で過ごすことは、自分のためというより天眼太夫のためだったのかもしれません。
天眼太夫は、それでも生きていてくれることが、心の拠り所で合ったのだと思います。
そしてそんな姿であっても自分を必要としてくれている天眼太夫が
空木太夫にとっても救いであった、そうであってほしいという想いで書いてました。

答えの出ることの方が、白黒つけられることの方が、世間では少ないかもしれませんよね。
人が生きていく上では、無常に感じること、答えの出せない想いということの方が
何故か多い気がします。
そしてそれを忘れるのではなく、それに折り合いをつけ生きていくのが
大人になっていくことなのかなぁと思ったりもします。

忘れていいこと、いけないこと
見なくていいこと、目を向けるべきこと
それさえもなかなか難しいことですが、人を思いやる気持ちは忘れてはいけないなぁと思ったり。

私もかなり取り留めのない文章ですみません。
でも鍵コメさんの切ない想いと優しさはとても伝わってきました^^

私はいろいろな事情で
母方の祖父母と、父方の祖父の葬儀には出れませんでした。
それどころか、死に目にも会えなかったのです。
父方の祖父が亡くなったのを知ったのは、亡くなって2年もたってからでした。

幼かったせいもありますが、そのことは大きくなってからも心のどこかに残っています。
どうか最後の時まで、おばあ様との時間を少しでも作ってあげてください^^
それが一番重要で、大切なのではないかと思います^^




  • 2012/11/24 21:51
  • YUKA
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