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誓約の地/漂流編・87<特別(10)>



誓約の地/漂流編・87<特別(10)>






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 修平の言葉に、杏子の眉が跳ね上がる。

「まさかと思うが、男と付き合ったことがないのか?」

 心配そうに話しかける修平の言葉に絶句した。

 まさか自分がそんな心配をされるとは思わなかったからだ。

 たった今聞いたのに、自分の耳を疑ったぐらいだった。

「何ですって?」

 杏子の刺すような視線を軽く受け流して、修平はとぼけたような顔で笑った。

「気に入らない男とは寝ないと言ったのは杏子だ。だとしたら、少なくとも俺のことは気に入ってるってことだろう? 俺が優奈を好きだったのも知ってたはずだ。何度も言うが、俺の中で優奈のことは終わったことなんだ。それを信じるか信じないかは杏子次第だけどな。それなのに何を躊躇う?」

 それからずっと掴んでいた杏子の手を放し、腰に手をあてるようにして彼女の瞳を覗きこむ。

「根性と忍耐は結構あると思うぞ?」

 だから大丈夫だと胸を張って断言する修平に杏子は唖然とする。

 しばらく沈黙した後、あきれ果てた調子で問いかけた。

「それ、付き合いたいと思う女に言うセリフ?」

「普通はない。でもお前と付き合うには必要な要素だと思ってる」

 根性と忍耐があるから付き合おうなどと言われて、喜ぶ女はそういない。

 それだけやっかいな女だと宣言するようなものだ。

 普通の女ならそんな風に言われて喜ばない。


 だが、杏子は違った。

 とぼけた調子で告げる修平の顔をおもしろそうに眺めていた。

「随分な言い草だけど、まさか優奈にもそんな事言ってくどいたんじゃないでしょうね? それで『はい、そうですか』ていう女はそういないわよ? そんな風だから振られたんじゃないの?」

 杏子の目にはからかいと笑みが浮かんでいる。

 修平はもう何度目かわからないため息をつくと、いつものように肩をすくめてみせた。。
 
「アホか。普通の女にこんな言い方したら、上手くいくものもいかないだろうが」

 この調子はワザとだった。

 普段の修平ならこんなくどき方はしない。少なくとも、もっと甘い言葉を囁くのが礼儀だと思っていた。
 でも杏子にそんな言葉は届かない。それだけは間違っていないはずだった。

 一瞬映った陰りと瞳の揺れ、歯に衣着せぬ物言いをする杏子が逡巡するもの――

 修平はそれが何なのか気になっていた。



 だが杏子は語ることをやめた。

 語ろうかと迷って飲み込んだのだ。

 それならば、今はそれを問いただすべきではないと思った。

 杏子はほんの一瞬探るような目で修平を見たが、すぐにいつもの調子に戻って肩を竦《すく》める。

「私が普通じゃないみたいじゃない」

 すると修平はにやりと笑った。

「普通の女と同列にカウントしたら、それこそお前に失礼だろう?」

 断言する修平に、杏子の綺麗に整った眉があがる。

「可愛くないわね。素直にお前は特別だ、ぐらい言ったらどうなの?」

 ふてぶてしい言い方に、さすがに呆れた修平は盛大にため息をつく。

 そんな修平を見ながら杏子は不敵に笑った。
 
「自分の根性と忍耐がどの程度か、試す絶好のチャンスがきたってわけね」

「自分と付き合う男に、根性と忍耐が必要だってことは認めるんだな?」

「私をほしいという男は多いけど、だいたい途中で音を上げるからね」

「あのなぁ。そんなこと威張っていうことか?」

「仕方ないわ。事実だもの」

 修平は小さく笑いながら天を仰いだ。

 素直なんだか素直じゃないんだかわからない。

 こんな調子でやり合ってたら、確かに普通は音を上げるかもしれないなどと考えていると、杏子がからかうように声をかけてきた。

「後悔しても知らないわよ?」

「言っとくけどな。ここに至るまでこれでも散々悩んだんだ。中途半端に手を出せる相手かどうかも含めて、だ。それに――それこそ、それはお前が心配しなくていい」

 修平は呆きれ果てた視線を杏子に向けると、げっそりと肩を落とす。

 今更言われるまでもない。


 呆れかえった様子の修平に杏子は噴き出した。

 つられて修平も小さく笑った。

 自分の言い草も酷いもんだが、杏子の言うこともイチイチ可愛くない。

 それでも、どうやら杏子も調子を取り戻したらしいと感じた。

 これ以上やりあっても堂々巡りになりそうだ。


 少々言いたいこともあるのだが、ここはひとまず忘れようと修平は心に決める。

 修平はおもむろに問いかけた。
 
「もう一度言う。杏子、俺と付き合わないか?」

 杏子は笑みを浮かべ暫く修平を見つめた後、その頬を挟んで自分に引き寄せた。

 修平は眼を見開いてぎょっとする。


 おかしな話だった。

 自分を引き寄せて顔を近づけているのは、たった今交際を申し込んだばかりの恋しい相手のはずだ。

 ならば当然この状況は甘い誘惑を想像できるはずなのに、何故か修平は違う意味で構えていた。

 平静を装いながら、何をする気だと無言で問いかける。


 杏子はそんな修平の瞳を覗きこむと艶《あで》やかに微笑んだ。



「いいわ。私の男にしてあげる」


 その物言いに修平は苦笑する。

 やっぱりやっかいな女に嵌まったのではないかと、一瞬イヤな予感がよぎった。








 杏子が悠然と背を向けて教会へと歩き始めた。

 一緒に戻ろうかと修平が一歩を踏み出した瞬間、杏子が振り返る。

「だからといって、さっきの失言をまだチャラにはしてないわよ?」

 挽回してねと笑う杏子の後姿を唖然として見送った後、修平は肩をすくめた。

「どっちが素直じゃないんだよ」

 そう言いながらひとりでに笑いが漏れる。
 


 気が付くと既に日が沈みはじめていた。

 今日の終わりを名残惜しむように、朱に染まった太陽が全てをその色に変えていく。

 あの日も確かこんな色をしていた。



 静かに打ち寄せる波を眺めながら、悪くない――そう思った。












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