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占い

女性は本当に占いの類いが好きだなぁと思う。

少し前、打ち上げに参加した。仕事仲間と卒業生で総勢20名ほどだったかと思う。一応、主賓の1人だったわけだけれども、仕事で少し遅れて会場に着いた私のせいで乾杯がやり直しになってしまった。まさか1人1人全員とグラスを合わせて乾杯する羽目になるとは思わなかったけれど、冒頭からみんなのテンションが高く、なかなか面白い会だった。

お酒も入って和やかな時間が1時間ほど過ぎたころ、20代の女子がわちゃわちゃと集まって奇声を発しはじめ、何ごとかと思って聞いてみたら「動物占い」なるもので盛り上がっていたらしい。凄く当たるんです、と誰かが興奮気味に説明してくれた。私は「○○占い」というものをあまり信じないタイプなので、自ら占うことはないし、自ら占ってもらいに行くこともないが、女の子たちが楽しそうにしているのを見るのは目に楽しい。だから楽しそうだなー良かったなーと他人ごとのように思っていたのに、いつの間にかわらわらと取り囲まれて占われる羽目になってしまった。

どうやら生年月日で検索する占いらしく、私の占いを敢行して盛り上がっていく。占いの結果は概ねいいことが書いてあって、まぁ確かに当たってるねということも多かったのだけれど、生徒たちが爆笑しながら「やっぱり!」「確かに!」「ウケる!」「わかる!」と連呼していて、占いの結果もさることながら、「そうか、私はみんなにそう見られていたんだな」とむしろその反応の方に思わず笑ってしまった。楽しそうでなにより。

動物占いには最後に職業診断というものがあるらしい。余曲折を経て常々今の仕事が「好きだ」「天職だ!」と公言しているので、今更自分に合うという職業を提示されても困惑しか無いので占う必要を感じなかった。今の仕事に就く前の、今に繋がる前職もなんだかんだあったけれど「天職!」と思っていたのであまり当てにはならないが、苦しいことも嫌なことも傷つくこともひっくるめてやっぱり好きなんだなぁとしみじみ思っている。

そんな私の考えは酒と女と若さというパワーの前では無力に等しいので、心の中で呟くに留めておいた。いつの間にか人だかりができていて、案の定、結果を読み上げる楽しそうな奇声が上がっていたのだけど
「先生、不向きな職業に『教職』って書いてあります」と笑われた。
…おぉい。


やっぱり、○○占いは信じないに限る。



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夏祭りと星の空

今日は満月。でも案の定、東京で星は見えない。

私は人生の大半を東京で過ごしているせいか、夜空を見上げても見えるのは月ばかりで星空にはあまり縁がないのだけれど、昔見た家族旅行先の星空は今でも鮮明に覚えている。

私が16歳になる年の夏に行った家族旅行。当時とにかく旅行が好きだった両親には、本当にあちこち連れていかれた。もともとアウトドアに興味が薄く、すでに夏の海に行ってさえエアコンの効いたカフェで過ごすほうが好き、といったあの頃の私の感情を考えると、無理矢理連れ回されたといった方がいいかもしれない。

あの夏に立ち寄ったのは山の上の小さな民宿。「自然を満喫する」といえば聞こえがいいけれど、少し開けた広場のまわりに見えるのは深い森ばかりで、蝉の声だけが五月蠅いほどこだまする、本当に何もない民宿だった。両親がどこをどう探してあの民宿を選んだのかは今でもわからない。とても旅雑誌に載るとは思えないから、誰かの紹介だったのだろうか。

車を走らせて家族5人で出かける間中、私は車中でずっと寝ていたと思う。もともと車酔いの激しい方だったし、あり得ないと思うほどの長距離走行で、騒ぐ気力どころか返事をするのさえ億劫なほどぐったりしたのを憶えている。深い森を抜けてついた先、2泊の予定で泊まった鄙びた民宿。まさか今の年になるまで記憶に残るなんて、旅の始まりには思いもしなかった。

高校生にして既に日焼けを天敵と目の敵にするぐらい太陽を避けていた私には、妹弟のように外ではしゃぐこともできず、庇の影に隠れるようにして、張り出した縁側に座って外を眺めていた。そんな私を可哀想に思ったのか、はじめは民宿のおじいさんが声をかけてくれた。おじいさんはまさに好好爺を絵に描いたような人だった。大好きだった祖父を亡くしていた私は、おじいさんを気に入っていたのだけれど、暫く話した後に、夏の時期だけ泊まりがけでバイトに来ていた男の子に私の相手を頼みはじめて驚いた。

たぶん年が近いから、と思ったのだと思う。年が近くても、いやむしろ年が近いからこそ、その年代で性別が違えばかえって気まずいものだなんて、好好爺の与り知らないところだろう。あのぐらいの年の好好爺からすれば、5歳児も16歳もたいして変わらないのかもしれない。親切過ぎてたぶんそんなことには気付いていない。にこにこ笑顔の好好爺の隣で、お互いぎこちなく挨拶を交わしたのを憶えている。それでも炎天下の中、あれだけ日差しを目の敵にしていた私がその子と並んで歩いたのは、ちょっと…かなりかっこよかったからに他ならない。呆れるほどげんきんなものだと自分でも思う。

彼は1つ年上で地元の高校に通っていた。土地柄なのか、素質なのか、都内ではなかなか見かけないと思うような真っ直ぐに優しい好青年だった。地元のせいか森の中での楽しみ方も詳しくて、私が(彼からすれば)かなり都会の女の子だと気を遣ってくれたおかげで、森の中の散策はとても楽しかった。自然の中で自然に親しむなど、私の辞書にも日常の中にもないことで、あれもこれも新鮮で、教わるたびに驚く私のあまりの無知ぶりに彼もちょっと楽しそうだったのは気のせいだっただろうか。夜の帳が降りる頃にはかなり親しくなっていたのだけれど、バイトの身の彼は夕食やらなんやらの準備に駆り出され、私は家族の元に戻った。夕食は山の幸を使った地のもので、食事はとても美味しかったと記憶している。

翌日「今日は夏祭りがあるよ」と好好爺に教わっていたけれど、やっぱり日中は特にやることがなかった。もともと何もない民宿であったし、アウトドアは苦手なのだから当然といえば当然だ。川遊びに繰り出す家族を尻目に、私は相変わらず縁側に座っていた。手持ち無沙汰な私を気にかけてくれて、彼は翌日もバイトの仕事の合間に話しかけてくれた。

あたりが夕闇に包まれる頃、ぽつりぽつりと提灯に灯りが点り、地元の小さな夏祭りが催されていく。広場の中央に組まれた簡素な櫓のまわりを、町の人がゆっくりと練り歩きながら踊る。手作りの質素な屋台に群がる小さな子供たちの笑い声、お囃子の音、焼き鳥に焼きそば、ラムネ、あんず飴。

バイトだった彼も夏祭りは参加できるようで、誘われて彼と見てまわることになった。とはいっても、見渡せるぐらい小さな祭りではあったのだけれど。意味不明の小言をぶつぶつと言う父のそばで、何故か母が楽しそうに笑っていたのを憶えている。私と遊びたくて纏わり付く弟を執拗に引き剥がして、何故あんなに母が楽しそうだったのか、今の私ならよくわかる。恋愛未満のぎこちない高校生2人を見ていたら、今の私でも同じことをするだろう。私の観察癖は遺伝子レベルで母譲りであったのかと、今更気がついてちょっと愕然としている。

祭りの後、片付けに奔走する大人たちから離れて、椅子代わりに置かれていた丸太に腰をかけ、何度も無駄に呼びに来た父を華麗に無視して、ずいぶん長いこと話していた気がする。

祭りの灯りが消えた後、かなり山奥にあったその民宿で見上げた星空は、零れそうなほどひしめき合っていた。「星が降るような」という表現が実感として理解できた瞬間。地上には背にした民宿から零れる灯りだけで、遠くに見えていたはずの森の木々さえ、夜に溶け込んでその輪郭も判別しずらいほどの漆黒の闇の中に浮かぶ星たちは圧倒的だった。息を呑むような美しさを目の当たりにして感じたのは、少しばかりの恐怖。

足下も覚束ないほどの夜の闇の中、民宿までの短い帰り道、彼が手を引いて歩いてくれた。宿の出入り口で手をつないだまま、暫くたわいもない話をして、おやすみなさいと互いに声をかけてその日を終えた。帰路につく車中で「楽しかったでしょ?」と声をかける、私より楽しそうな母の声に、素直に頷けない程度には子供だったころの記憶。


小さな祭りの後に見上げた零れる星空と共に憶えている、淡い夏の思い出。


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遺却

日記を書くという行為は、内省に適しているように思う。

混同されるかもしれないけれど、私は内省と反省は違うと思っている。どちらも自分の過去の言動や在り方を省みることであるけれど、内省は自己観察であって、結果的に反省をすることがあっても、もっと前向きなものだと解している。誤解のないように、そして自己への戒めとして先に記しておく。

先日の雨の日からまた珈琲癖がついてしまった。こうして夜中に言葉を綴るせいかもしれない。そろそろ「せめて牛乳を入れなさい」と空から声が降ってきそうなので帰りがけに牛乳も買ってきた。珈琲用のミルクと違って牛乳は温めないと珈琲の温度が下がってしまうので、レンジで少し加熱してから注ぐことにしている。帰宅途中でメープルシフォンケーキなるものを見つけたので、散々迷ったあげく、1ピースだけ購入した。添えるための生クリームを探して追加購入。毎度のことながら食べ物に対してひと手間を惜しまない私は、どれだけ食い意地が張っているのだろう。

以前「優芽の樹」の記事にも書いたけれど、約2週間後に手術の決まった母から紅茶のシフォンケーキを頼まれたことがある。あの記事は母が亡くなって半年ぐらいで書いたもので、まだ上手く消化できない想いを言葉にして昇華しようとしていた気がする。そのせいかかなり不安定で、読み返すと痛々しい程の悔恨がみてとれる。ずいぶん感傷的だなとひとごとのように思うけれど、あの感情は紛れもなく私の中にあったものなので、それはそれで必要だったのだと思うことにして消すことはしないでおく。

当時すでに古すぎて製菓には全く向かない自宅オーブンをなだめすかし、2度焼こうとして2度とも失敗した。結局実家には持参できなかった。「また今度」という約束は宙ぶらりんのまま今に至る。最後は小さな親子喧嘩をして帰省が終わった。

前日から母の元に駆けつけた妹弟と違い、仕事を言い訳にして手術時間ギリギリで駆けつけ、たいして話もできずに見送ったあの日、母は手術が終わってから1度も目覚めないまま亡くなった。約束を果たせないまま亡くなってしまった。今日会えた人と明日も会えるという保証なんてどこにもない。「また今度」が必ず訪れるとは限らない。未来の約束が果たせるのは当たり前ではなく、限りなく幸福なことなのだとあの日母に教わった。最後に見た、手術室のドアを抜けていく母の顔が笑顔であったことだけが救いとなっている。

最後の頼みを聞いてあげることができなかったという罪悪感で、最初の数年間は食べることもできなかったシフォンケーキ。今は美味しく頂けるけれど、やっぱり自分で焼く気にはなれていない。新しいオーブンを購入してもなお、そのうちそのうちと思いながら気がつけば6年も経ってしまった。もはやトラウマになっている気もするけれど、食べられるようになっただけでも進歩だよなーと誰に対してなのかわからない言い訳をしながら、いまだなんとなくそのまま放置している。ジャンプの前に必要な前屈のように、シフォンケーキと向き合うキッカケを探しているだけかもしれない。

人は忘れる生き物なので、不可逆的な時の流れの中で記憶を徐々に薄れさせていく。その喜びや痛みを忘れないようにきつく縛り付けたとしても、掬い上げた砂が指の隙間からこぼれ落ちていくように記憶は風化され、美化され、記憶の彼岸に格納されてしまう。それは時に寂しいと感じることではあるけれど、だからこそ人はまた1歩を踏み出すことができるのだと思っている。その感情を忘れたわけではないけれど、しがみつくわけにもいかない。

かつて歩いてきた過去の中の事象全てにおいて、強烈な感情を当時のまま思い返すことができたとして、それを忘れずに抱えて生きていくとして、人はそれに耐えられるだろうかと思う。喜びに満ちた至福のひとときと、悲しみや苦しみに喘ぐ惆悵の記憶を当時のまま鮮やかに思い返せるとして、清福な思い出は怨毒の感情に勝ることができるだろうか。溢れる感情に溺れて身動きが取れなくなってしまうのではないだろうか。

「記憶や感情を徐々に忘れていく」という機能を失ってしまったとしたら、人としての他の機能まで奪われてしまう気がする。水は流れるから清洌でいられるのであって、留まってしまったとたんに濁り、澱み、腐敗していく。当時の感情に留まっていたら、結局はその記憶も感情も心まで澱み、変質してしまうのではないだろうか。忘れていくことは悪いことばかりではないと思う。少しずつ擦り切れていく記憶のおかげで、私はまたシフォンケーキが食べられるようになった。きっとそのうちに焼くこともできるようになると思っている。
いつかきっと。


忘れることを人間に標準装備してくれたとするなら神様はけっこう優しいと思う、と誰かが言っていたのを思い出した。確かに、私もそう思う。



★紅茶のシフォンケーキ12,29★
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弄月


珍しくほろ酔いで、ふわふわとしながら文字を綴っている。

ちょうど土日にあたるので多くの人はやり過ごせるだろうと思うのだけれど、週末もがっつり仕事の入っている私は、今から公共機関の遅延に慄いている。朝のニュースを見ながら「まじかー」と人ごとのように呟いてから仕事に出た。週末は関東に台風上陸らしいです。

今日の夜は新規クラスのスタート日だった。仕事に関していえば私に「物怖じ」という言葉は存在しないのだけれど、そんな私でも初日は少し緊張する。ここ数年、夏は夜間にクラスが始まるので、とうとう来たなー始まるなーと少し憂鬱になった。暑いからだ。と夏のせいにする。日中の仕事からの移動中に頭の中で授業を組み立てておく。何年やっていても毎回同じという訳にはいかず、今日はいい感じだったなぁとか、ちょっと失敗したなとか、自分の話術と手腕に一喜一憂するのだけれど、蓋を開けてみれば全てが杞憂に終わり、なかなかいい雰囲気でスタートを切った。

時々、授業は生き物みたいだなぁと思うことがある。講義の構成は講師の仕事であるのだけれど、ライブ授業は相手との関わり方によって進行に影響が出るものなので、互いに乗せて乗せられて進行する授業は面白くなる。初日はその雰囲気作りに9割のエネルギーを注ぎ込んでしまう。子供は正直で楽しいことに敏感なので、ある意味恐ろしくわかりやすいのだけれど、大人の好奇心だって捨てたもんじゃないと思う。子供ほど自由に上手く引き出せない程度に年を重ねて固まってしまっただけで。互いに初顔合わせで様子を伺う固い雰囲気を払拭できるか。まずは緊張をどう取り除くか。いかに笑顔を引きだすか。集中と視線を集められるか。
それが上手くいけば今後は多少の無茶ブリも許されるってもんです。

人に個性があるように、授業進行にもそれぞれ講師の個性がでるのだけど、私はアカデミックなタイプではないので、少しくだけた雰囲気の方がやりやすい。講師と生徒となれば、講師は圧倒的な強者で知識を切り売りする仕事ではあるけれど、授業は人と人が絡んで作り上げていくものだとつくづく思う。今日は上手くいった、と思いたい。久々に充実した初回だった。ほんとありがたい。

帰宅途中、いつもの駅でふいに空を見上げると、薄雲の間からまん丸の月が顔を出してこっちを見ていた。きらきらと眩しい太陽よりも、どうやら私は月に惹かれるようで、空を見上げるのは圧倒的に夜が多い。この間まで「夏は痛い」なんて言っていたのに、夜の東京は暑くもなく寒くもなく、嘘みたいな気候の変化には戸惑ってしまう。夏も夏バテしたのか?とかなんとか相変わらずしょーもないことを考えて月を追いかけながら帰宅した。

あまりにもいい季候なので、帰宅してシャワーのあと、珍しく缶ビールなんぞ持ち出してベランダに出た。明日からのあれやこれやは見ないふりをして、音楽を聴きながらビール片手に月を見上げ、なけなしの自由を満喫する。このままそろそろとベッドに潜り込んで寝ているうちに、どこぞの国の妖精が繁雑なあれこれを全て仕立ててくれないだろうか。お礼にお菓子を差し上げましょう。
この際、ちっさいおっさんでもかまわない。




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左利きは右利きより寿命が9年短いらしい。

それはなんの呪いだろうかと考えて、確かに世の中の仕様はえげつないほど右利き用にできていることを思い出し、体にも心にも負荷がかかっているということかと妙に納得する。呑みの席でそんな話が出ると必ずといっていいほど、どこが?何が?と返されるのだけれど、「それが右利きだということだよ」という言葉を投下して笑ってしまう。言葉を集めてあれやこれやと論うことはできるのだけれど、生まれてから付き合っている利き手を今更変える必要性自体をすでに感じてはいない。

酒好き、酒飲みを左利きともいう。大工が「のみ」を持つ手が左手であることから「飲み手」にかけて酒好きとは、よく考えるなぁと思ったのを憶えている。先人たちの考えた言葉遊びは嫌いじゃない。猥雑なものも含めて時に粋だなぁと思ったりする。今ならネットスラングのようなものだろうか。媒体が変わるだけで今も昔もあまり変わらない。私は左利きだが左利きではない。…連ねるとなんのことやら。

通常は左利きと聞くと、人は器用であったり芸術に優れていたりという、どちらかというと憧れるに足るイメージを持つらしい。実際に私はクラスに1人はいる「絵が上手いと言われる子」であったし、「なんでも器用にできる子」と思われていたようなので、今まで1億回以上言われた気がする。「限定」という言葉に商品の価値を底上げする心理が働くのと同じように、単なる稀少価値的な意味合いで羨ましいと言われることもあるように思う。

まだ幼稚園に行くか行かないかの歳の頃、練習のために私の書いた文字をはじめて見た母が感じたのは焦りだったという。母の手本を横に置きながら練習した自分の名前は、全くといっていいほどでたらめな文字に見えたらしい。何度書いても同じように書けず、私ほどネットが簡単にできる環境にはいなかった母がどこぞの伝を頼って調べたのか今となってはわからないけれど、有名な誰かに確認したその文字は「逆さ鏡文字」というものだったと言われた。

逆さ鏡文字は、文字を合わせ鏡のように反転させ、さらに上下を逆にするというもので、器用なのか不器用なのかわからないその不可思議な文字を目の当たりにして、「この子の目に世界はどう映っているのだろうと思っていた」と笑って話してくれたことを思い出す。笑い飛ばしてはいたけれど、当時ははじめての子に、なにかしらの障害を疑っていたのだろうと今でも密かに思っている。

私の親の世代までは「左利きは矯正するもの」という慣習が根強く残っていたらしいけれど、私の子供の頃はすでにその慣習が薄まってきた時期だったと思う。小学生の頃はクラスに左利きが4人ほどいたし、それを咎める大人はいなかった。ただどの世界にも前時代的な人はいるもので、私がまだ小学1年のころ「お箸を持つほうが右、お茶碗を持つほうが左」という言い回しで左手と右手を教える教師も存在していた。

あれは確か運動会のための練習だった。見事に左右を間違える私はクラスの誰よりも真剣に耳を澄ませてその声を聞き、号令に合わせて右手と左手を挙げたけれど、けっきょく1度も合わずにその日を終えた。他にも左利きがいたにもかかわらず、合わないのは私だけだった。何故自分はできないのかわからなくて、悔しさと恥ずかしさで混乱したことを憶えている。

母に相談してはじめて自分が左利きであることを知った。知っていた「左利き」という自分をはじめて意識したといったほうが正しいかもしれない。自分ではどうしようもない理由であったし誰のせいでもないのだけれど、私と友達は違うのだと強く意識した記憶。それから寝るまでの間、真剣に考えて導き出した答えが「お箸を持つほうが右、といわれたら左、お茶碗を持つ方が左、といわれたら右」であった。今思えばかなりテンポは遅れがちだったけれど、この回りくどい呪文を編み出してから毎日唱えて何度も何度も練習を重ね、こっそりと友人たちに紛れ込んだ。

いまだに左右を咄嗟に判断するのが苦手なのはその頃の記憶のせいかもしれないと思うことがよくある。道案内をするとき、左右を人に説明するとき、今でも私は利き手をぎゅっと握りしめてしまう。こっちが左、と言い聞かせるように。四角い画面の向こう側で、他人には些末な、でも当人にとってはとても重要な命題を抱えて惑う人の微かな悲鳴を見つけるたびに当時の自分を思い出す。

そういえば人の世では人口の10%が左利きだそうだ。戦争があっても人口が増えてもこの比率はほぼ変わらないらしい。この話をどこかで聞いたとき、まるで「働き蟻の法則」のようだと思ったのを思い出した。全体の2割の働き蟻が残り8割の食料を集めてくるという働き蟻の法則。実際はよく働く蟻を含めた全体の8割しか働かず、2割はずっとサボっていて、よく働く2割を間引くと残りの8割の中から自然と2割が働き蟻に変わり、2割はやっぱりサボったまま。でもサボっている2割を集めるとその中から2割が働き蟻に変わり、全体の8割は働き出すらしい。自然の作り出す不可思議な法則は時に不条理で人間ごときに解明できないところが哀しくも面白いのだけれど、常に10%の左利きは働き蟻だろうか、それともサボり蟻だろうか。

信頼に足る有能な人物を「右腕」というので「左腕」は?と調べたことがあるが見つからなかった。「右」という字には「優れたもの」という意味もあるのだけれど、右が上座であった時代に右の理屈に合わせるのは、右利きが多数を占めていたためではないだろうかと思っている。すでに左利きということは私のアイデンティティの一部になっていて、それを負に思うことはないのだけれど、どうやら私は手だけではなく、耳も目も左利きらしいとわかったときは少なからず驚いた。

左利きは右利きより寿命が9年短いとするなら、目も耳も利き手も左の私は20年ぐらい寿命が短いのではと思うのは短絡的すぎるか。それが私の寿命であるとするなら、それはそれで仕方が無いのかもしれないなとも思う。それにしても私は人生の中でどれだけ左に頼って生きてきたのだろう。
私の相棒は左。絵も文字も料理も、私の好きなことは全て左手が紡いでくれるものだ。

私が信頼に足る有能さを表すなら「左」ということになるのかもしれない。



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夏の雨


雨が降っている。

このところ夏が全力で仕事をしていたせいで、私の中で「夏は暑い」から「夏は痛い」に変わりつつあるのだけれど、そんな想いを見透かしたような雨が降り出して大きな音を立てて窓を叩きはじめた。夏の雨は好きだ。特に部屋の中で雨の踊る音を聞いていると、夜中に流れる赦しと怠惰な空気が混ざり合って心の奥がしんと静まる感じがする。

その昔、まったりと燻る珈琲を飲みながら夜が通り過ぎて行く時間をこよなく愛していた時期があった。昔といってもほんの数年前だけれど。そんな時間と珈琲は実によく似合う。日常的に飲みすぎを人から注意されるほど珈琲を愛していたのだけれど、珈琲を飲み過ぎると偏頭痛が酷くなると誰かに脅された。好きなものを否定されるのは痛みを伴うのだけれど、確かに最近頭が重いなと感じ始めていた頃だったので、これはそのせいなのだろうか?と気まぐれに控えてみたら本当に治まってびっくりしたのを憶えている。今でも早朝のカフェや日中に飲むのは止められないので、それからできる限り家では珈琲を飲まなくなったのだけれど、こういう日はやっぱり珈琲が飲みたくなる。そういえば私の母も珈琲をこよなく愛していたなぁと思い出しながら、今日は深夜にこそこそと珈琲を淹れた。

この間流れてきたTLで「概念としての夏は好き」というフレーズにとても気に入って私の中での夏の概念はなんだろうと考えていた。燦々と降り注ぐ陽光、入道雲に打ち上げ花火。街に揺らぐ陽炎、風鈴の音に蝉の声。江戸切り子のグラスに滴る水滴。風に揺れる向日葵。激しい感情を突然発露する人が苦手なのと同じぐらい激しい気候は苦手なので、痛みを感じるほどの夏は私にとって生きづらい季節ではあるけれど、確かに夏の持っている心象は美しいと思う。

熱気を感じることのない窓から眺めるような夏の情景はなぜか懐かしく切ない。この感情はどこからくるのだろうといつも考える。強い光は等しく強い影を作り出すように、夏の醸し出す陽気で眩しいほどの明るさが同時に黒く塗り潰した影のような闇を浮かびあがらせるせいだとしたら、人は等しく心に光と闇を抱えているのかもしれない。そのなんともいえない懐かしさと切なさも込みで夏は眩しいほど美しい。だから奥底に隠し潜める心の陰影も等しく美しい。時に心を奪われるほど美しく感じて惹かれてしまう。

「創作熱」と呼ばれるものを最近少しだけ感じるようになって、そういえばここから遠ざかっていたなぁと思いだしたのだけれど、物語を紡ぐだけのエネルギーみたいなものを現実に奪われているのでさすがに難しい。リハビリのようにまずは言葉を連ねてみてはどうかと思い立ち、しばらくは日記のようなものを綴ってみようかと思う。すっかり寂しくなったここに訪れる人がいるのかはわからないし、独り言のようなものなのでそんなに需要があるとは思えないのだけれど、これは私のリハビリを兼ねたエチュードのようなものなのでよしとしよう。

コメ欄は閉じておく。更新を見かけて寄ってくださる方がいたとしたら申し訳ない。お元気ですか?私は元気です。願わくばここで交流していた方々の痛みや淋しさが、あの頃より癒やされた今でありますように。


いつの間にか雨は窓を叩くのをやめていた。もう少し一緒に過ごしたかったのに残念でならない。




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誓約の地<漂流編>目次

誓約の地 第1章<漂流編>
『誓約の地』は管理人YUKAが初めて描いた恋愛パラレル小説です。
漂流編・追憶編・旅立編と続く長編小説。

2011年9月23日~2016年10月21日
第1章・漂流編完結

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