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コウジは謝罪と懺悔の後、優奈の言葉通りみんなと共に過ごしていた。
暫くは全員の反応も鈍く彼への対応を戸惑っているようにも見えたが、日が経つにつれて徐々に落ち着きをみせはじめている。
今ではそれぞれがコウジに声をかけることも増えた。コウジ自身は依然口数は少なく笑顔を見せることもまだ少なかったが、それでも今まで通り作業をこなしていく。
この間の一番の変化といえば、コウジが夜の海での見張り番を全てかって出た事かもしれない。
優奈とヒョヌはあれからも同室で生活を続けているが、当初優奈とヒョヌは同室解消を考えていた。しかしそれを杏子と当のコウジが反対したのだ。
特にコウジは「2人が変わる必要はない」と言って、毎晩夜の見張りに出ると自ら志願した。
毎日の夜の海の見張り――それは救助のために通りかかる船を見つけた際、積み上げた薪を燃やしてSOSを出すためのもの。夕食後から朝方全員が起き出すまで続く見張りは教会側が男女ひと組で、海側が男性2人ひと組とすることに決めていた。
教会側は夜警と防犯を兼ねた見張りであったが、教会側ならば何かあってもすぐに寝ている全員が駆け付けられるという判断で、女性陣が海の見張りの担当をすることは当初からない。
もちろん担当した人はその後交代して休むことはできるが、毎日見張りを担当するということは、夜にベッドで寝ることが無いということになる。
杏子が教会発見当時、「ベッドで寝れるのはいいこと」と判じていたように、この生活でゆっくり身体を休めることは必要不可欠なことだ。
それでなくても日が昇れば暑さの厳しい島では、日中に熟睡することは難しい。人はどんなに無理しても夜行性にはなりきれない。必ずその無理は身体に、心に現れる。
それが毎日では堪えるのではないか――はじめ、佐伯は医師として難色を示した。
しかし諦めと反省と後悔を心に刻んでいたとしても、教会での寝起きはまだ苦しいはずだと修平が佐伯を説得して、カズヤもそれに同意する。
それを受けて佐伯もコウジと話し合い、週に一日は夜に部屋で休むこと、2人1組になる相手は修平とカズヤと佐伯の3人で担当すること、「暫くの間様子を見るだけ」ということを条件に受け入れた。
そして同時に部屋割も少し変更し、コウジと修平が同室となった。
優奈の語りで全員が落ち着きを取り戻してはいたが、その心中はまだ個人差がある。同室になる者の、そしてコウジの心理的なプレッシャーを少しでも軽減するために考えた人選だった。
修平は優奈とヒョヌに相談し、教会と海の見張りのシフトを組み換えて佐伯に提示した後で全員と話し合う。憤りがあるとはいえ、コウジの生活は必然的に優奈も絡んでくるのだ。
優奈とヒョヌが過ごすその傍での生活は、コウジを追い詰めるだけ――それだけは避けたいというのが共通する素直な心情だった。
それぞれの想いを胸に、誰もが優奈とコウジの心情を尊重して異論は出ずに話しあいは決着する。
その決定に深々と頭を下げたコウジを、全員が見守っていた。
島は今日も快晴。
全員が早朝から一日の労働を終え、昼食後の時間を思い思いに過ごしていた。
海から運ばれる潮風は木々をすり抜ける間にその熱気を手放し、森の中心へと吹き抜けていく。
揺れる草木のこすれ合う音に混じって、時折コーコーと低く響くような鳥の鳴き声が聞こえている。
優奈は教会の住居区最奥にある医務室のドアを開けると声をかけた。
「杏子を見ませんでした?」
声をかけた先に、キャシーとミラがいる。
2人は執務用の大きなデスクを挟むように向かい合い、書きかけていたものから視線を外して振り返った。
「自分の部屋にいるんじゃない?」
「急用?」
「いいえ」
「……大丈夫?」
キャシーが発するいつもの問いに、優奈は頷いて頬笑みを返していく。
「探したわよ」
その声で振り向くと杏子が入口に立っていた。
「それ、私のセリフ」
優奈が苦笑すると、杏子は笑いながら執務用のテーブルまで近づいて「何してるの?」と声をかけた。
「カレンダーよ」
得意げに笑ったミラは遭難当時から欠かさず一日をカウントしていた。
遭難した日時も、その後どのくらい時間が経過して目覚めたのかも定かではなかったが、全員の記憶とカウントし続けた日数を頼りに、教会に移動して暫くするとカレンダーを作ろうと決心したのだ。
この島で日付の意味が特にあるわけではない。
しかし大まかでも日付が分かれば、季節感のないこの島での生活でもメリハリが付けられる。特にクリスチャンであるミラとキャシーは、それにまつわる祝祭日を知りたかったのだ。
そしてここにきてようやく納得のいくカレンダーが出来上がった。
綺麗に並べられたアラビア数字を見ながら、優奈と杏子がある日付にふと笑みを消した。
「どうしたの?」
キャシーの声で我にかえった優奈は、別にと微笑んで首を振った。
「優奈、着替えは?」
唐突な問いかけに優奈がきょとんとして振り返ると、杏子は呆れた顔で肩をすくめる。
「温泉、行くんでしょう?」
「あ、うん。とってくるね」
そう言ってほほ笑むと足音を立てて部屋を後にした。
「温泉に行く約束をしてたのね?」
「まぁね」
優奈の姿を見送った杏子は、またカレンダーへと視線を移す。
「……何かあるの?」
杏子はミラの声に薄く笑って少し考えた後、ある日付に綺麗な指を落とした。
***
「あぁ~~やっぱりいいわね、温泉は。極楽極楽」
ふぅとため息をつくように零れた杏子の言葉に、優奈が隣でくすくすと笑っている。
泉のほとり――。
大きな岩に囲まれたその一角で、優奈と杏子は温泉につかっていた。
その奥にはゆらゆらと陽炎のように立ちのぼる源泉がある。その脇には泉の水源を保つ小さな滝があって、積み上げられた岩の間を縫うように綺麗な水が音を立てて流れ落ちていく。
その滝のおかげか、泉の気温は森の中でも少し低い。午後の日差しが木々に遮られ、その木漏れ日が水面でキラキラと踊っていた。
教会に移動して暫くすると、マーク主導でこの一角が整えられた。
浅瀬に湧き出る温泉からあがるたびに、滴る水滴でぬかるんでいた着替えの足場も今は岩や廃材で整備されている。
お陰で「綺麗に整った露天風呂」とまではいかないが、「かなり整えられた秘境の温泉」という様相を呈していた。
2人は暫く黙って温泉につかっていた。それは嫌な沈黙ではなかった。
景色に溶け込むように自然の音へ耳を傾ける。緑に染まる森の木々を眺め、水に浮かぶ光を掬いあげるようにして身体にかけていく。
「杏子、大丈夫?」
優奈がそっと杏子に声をかけた。
「何が?」
「ちゃんと寝てる?」
ちらりと盗み見た杏子の目の下にうっすらと隈ができているのを、優奈は随分前から気付いていた。
理由はわかっている。だからこそ言葉を飲み込んで躊躇っていた。
杏子は大きく息を吐くと、両手ですくったお湯で顔を濡らしていく。
「それ、私のセリフよ」
視線を森に向けたまま苦笑する杏子に、優奈も静かに笑って応える。
「私の目はごまかせないわよ」
「何が?」
「大丈夫……じゃ、ないわね」
ため息交じりの杏子の呟きに、優奈はあらためて杏子を見た。
「私はちゃんと寝てるわよ」
片手でお湯を掬いあげ、肩に首にとかけながら優奈は微笑んでいる。
杏子はそんな優奈の顔を暫く見つめていた。
「優奈」
「なぁに?」
「あれからヒョヌさんと寝てないでしょ」
優奈の手が一瞬止まった。
「ちょっと。何言ってるのよ」
苦笑しながらあわてて抗議する優奈に、杏子は少し首を傾げた。
その顔から笑みは消えている。
「怖いの?」
杏子の一言に、優奈の笑みも消えた。
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