全く、やることが派手すぎる。
杏子の無茶はいつものことだが、今回はことさら大勢の人間を巻き込んだ。
しかも異国の地で。
ケイのむっとした表情を見ていると、なんだか他人事に思えない。
――ま、これも社会勉強だよな。
奴は今回最大の被害者だ。……いや、加害者か?
少なくともヒョヌさんはそう思っているだろう。
いつも穏やかな笑みを絶やさないヒョヌさんだが、ケイにはなぜか感情的だった。出逢い自体があまり友好的ではなかったが、それでも相当珍しい。俺と対立していたころでさえそんなことはなかったのに。
あのヒョヌさんをそれほど感情的にさせるケイは、ある意味尊敬に値する。
そのせいか……ヒョヌさんには悪いが俺は気に入った。なかなか面白い男だ。
初めて逢ったあの日、奴がこの街でも有数の資産家であることを知った。
御曹司ではなくご当主様だったわけだ。
儀礼程度のそつのない社交性に、少し傲慢な態度もそれで納得が入った。
ケイは杏子を気に入ったらしい。このくらいの年齢差なら許容範囲なんだろう。
あからさまな誘い文句とまんざらでもなさそうな杏子に腹も立ったが、そんなことをいちいち気にしていたらあいつの相手は務まらない。
それがケイにはあまり理解できなかったようだが。
俺が意外だったのは、ケイの優奈への態度だ。
優奈の隣に座ったケイは何故か優奈を酷く警戒していた。
その割に徹底して無視を決め込むその姿が、なんだか奇異に映ったのも確かだ。
そしてその上をいくセイレンへの態度。
好きな子をいじめてしまうなどという、小学生並みの言い訳じみた思考回路じゃないだろう。
そんな奴には到底見えない。
もっと捻じれた何か、そんな気がする。
人には好みってもんがある。入りこめない事情もある。
だからそのことに口を挟むつもりはないが、あからさまなあの態度は俺でも少しばかり不愉快だった。
そして俺以上にそう思っていたのは――。
無意識に向けた視線の先に、深紅のドレスを纏った杏子が映った。
送られてきた招待状は悪戯だったと判明した。
ケイが席を立って帰路に着いた後、セイレンの働く姿を見ながら杏子が暫く考え込んでいたのを憶えている。
『やっぱり、招待して貰いましょう』
『おいおい。あれだけ嫌がってるんだ。無理だろう?』
『まぁね。徹底して嫌がってたわね』
『だろ?』
『でもせっかく知り合ったんだし、期待に応えなくちゃ悪いじゃない?』
杏子が瞳の奥を光らせた時は危険だ。
少なくともケイはその手の期待をしてないと思う。
そう思ったが口にはしなかった。
許せよ、ケイ。
お前より杏子を知っている俺は、その時から嫌な予感がしてたんだ。
俺の隣でケイが無表情を決め込んでいる。その横顔は端正という言葉がぴったりだ。
俺より踵ひとつ分背が高いことはむかつくが、あくまでも主催者としての礼節と頬笑みを守り、招待客にもそつなく対応しているケイに、慣れたもんだと感心した。
それでも俺には、今のコイツの心情が手にとるように分かる。
踊らされたことへの憤り、呑み込みたくない目の前の事実、自身の領域を侵されることへの激しい嫌悪。
冷静さを装いながら、納得できないものを抱えているんだろう。
でももう遅い。遅すぎる。
「お前もたいがい、往生際が悪いな」
そういうと、ケイは案の定小声で文句を言ってきた。
だからそれを「往生際が悪い」って言うんだよ。
杏子はその辺の男より男らしい。義侠心の塊みたいなもんだ。
特に自分の気に入ったもの、大切なものは庇おうとする。絶対に、徹底的に。
もはや本能とも言うべきその習性を、あの短い時間で判れというのは酷だろう。
杏子もケイを気に入っている。
そこに恋愛感情は無いと思うが……思いたいだけかもしれないが、間違いはない。
もう少し違う態度をとっていたら違っていたかも、と思ってしまう自分が恐ろしい。
でもケイは、少しばかりやり過ぎた。
優奈への態度、セイレンへの態度。
それで充分だ。杏子にとっては。
こいつにもこいつなりの想いがあるんだろう。
ケイが悪いんじゃない。ただ喧嘩の売り方と売る相手を間違えただけだ。
『杏子、あまり無茶はするなよ? あいつはセイレンの好きな男なんだからな?』
そういった俺に、杏子は『わかってる』と楽しそうに笑った。
セイレンから呼び出されたあの日。
ホテルに戻ると何故か実家に連絡を取り、暫くして猛然と電話をかけまくっていた。
その時の会話は……思い出さない方がいい。
随分手の込んだ嫌がらせだと笑うしかない。
――ご愁傷様。
突然両手を合わせて目礼した俺を、ケイは訝しげに眺めていた。
優奈の登場は見事だった。
ケイの表情は乏しくて読みとりづらいが、まさに度肝を抜かれたという感覚だろう。
いつも杏子をなだめ諭す優奈が今回はなぜかノリノリで、今しがた聞いた口上もあいつらしくはない。
さすが杏子と親友を続けているだけはあるってことか。
一分の隙もないほどの、「阿吽の呼吸」ってヤツだ。
そして極上の美女を演じている2人に嵌められたケイは、ため息をつきながら大広間のメインドアへと歩いていく。広間のライトが少し落とされると、ドアの傍で控えていた使用人が進み出るのが見える。
俺は心の中で、もう一度ケイに手を合わせた。
俺は一度、予行練習だと言って着せかえられたセイレンを見ている。
杏子と優奈が選んだのドレスの色は、黒に近いほど濃い紫。
マルベリーと言われる色らしい。
『この色のミカドサテンのドレスを見つけて、優奈と飛びあがったのよ。プレタポルテなのにピッタリだと思って。細身だからAラインに小さめのバニエも入れてるの。背が高いから、少しだけトレーンを出すためにかなり調節して貰った。見て。このリバレースと刺繍! これを3日で仕上げるなんて、この街の職人は本当に素晴らしいわ。そのおかげね。それでもかなり無理言ったから、間にあってよかった』
本当はもっと事前準備が必要なんだと語っていた杏子の話は、意味のわからない単語が並んで半分も理解できなかったが、その苦労だけは伝わってきた。いつの間に用意したんだと思うほど上出来だ。
セイレンの身体に合わせたロングドレスは、胸元から裾にかけて凝った銀糸の刺繍が施され、そのまま裾を縁取るように流れていた。精巧な細工の装飾品が首元に煌めき、同じデザインのバングルが二の腕を飾る。
漆黒の綺麗な長い髪をふわりと結い上げたセイレンは、赤ワイン色の口紅をひいていた。
その時も充分驚いたが、今見ているセイレンはそれ上だ。
大勢の人間が一斉に息を飲むという静寂を、俺はこの時初めて知った。
水を打ったように静まり返る会場は、咳払いひとつ聞こえない。
美しい音色を奏でていた楽団の奏者たちさえ、その手を暫く止めていた。
『この街の、月の女神が』
優奈の声が俺の中で反響している。
そこに現れたセイレンは、そう呼ぶにふさわしい姿をしていた。
神は性別を持たないという。
男でもなく女でもない者。男であって女でもある者。
なぜかそんな話を思い出した。
最上の神々にだけ許された〈両性〉であり〈無性〉である存在が具現化される。
女が醸し出す生々しさも男が醸し出す雄々しさもない。だがそのどちらをも内包しているような存在として。
薄氷の上に立っているような危うい、そして絶妙なバランスで存在する怖いほどの美しさを湛えた月の女神。
幽艶で、とても儚げだった。だからこそ目が離せない。
青白いほどに透きとおる肌の上で、紅く濡れた唇がゆっくりと弧を描く。
それは息を飲むほど妖しい頬笑み。
――あれは、誰だ?
まぎれもなくセイレンの顔をした女は妖艶な色香を解き放っている。
俺の知っているセイレンは、たどたどしい言葉を紡ぎ、笑顔で懸命に動いていた不器用な少女だ。
どちらかというと少女というより少年っぽさを残した綺麗な顔で、伏し目がちに笑っていた。
――あれは、誰だ?
光に紛れて消えてしまいそうなぐらい白く細い腕をケイにそっと差し出すと、奴が息を飲むのがわかる。
我に返ったケイがセイレンの手を取って中央へ向かい、プロとしての務めを思い出した奏者たちも優美な楽曲を奏ではじめた。
セイレンが歩くとドレスの裾がふわりと広がり、煌めく光が燐粉のように舞いあがる。
――月に、染まる。
辺りにむせ返るような甘い花の香りが満ちる気がした。
中央まで歩みを進めた2人が身体を寄せている。
それはダンスと呼べるようなものではないのかもしれない。
ただ互いに見つめあったまま、ゆっくりと身体を揺らして円を描いていた。
同じように進み出て踊る者は一人もいない。見渡すと誰もがその光景に魅入っている。
2人のための空間。2人だけの円舞。
真っ赤に染まる、円舞。
見つめ合う2人の姿に、ぞくりと背筋が寒くなる。
――なぜだ?
この感覚を何て言えばいいのかわからない。
そこで舞うのは、美しい2体の――
「……なんて顔してるのよ」
杏子の声でやっと我に返った。
「何でも無い」
俺としたことが、柄にもないことを考えていたんだ――とは絶対に言えない。
どんな? と突っ込まれるのが容易に想像できる。
興味ありげに覗きこむ杏子の視線を感じたが、口が裂けても話す気はない。
何を言われるかわかったもんじゃない。
――ヒョヌさんじゃあるまいし。
そう悪態をついても気恥ずかしさは消えなった。
「優奈にも驚かされたが、セイレンはその上をいくな」
そう言って話題を変えると、杏子も嬉しそうに笑っている。
「しかし、ケイもなかなかやるよ。さすがに……キマってる」
「動揺はしてるけどね」
「そうか?」
「彼はダンスの心得もあるでしょうからね。セイレンが踊れないにしても……グダグダ過ぎる」
噴き出すように笑う杏子に苦笑する。
――奴も可哀そうに。
ダンスの心得なんて皆無の俺には分からなかったが、杏子が言うならそうなのだろう。
――あれは動揺もするよな。
「お前の意趣返しは成功か?」
笑いかけると杏子は「意趣返しなんかじゃないわ」と言って笑った。
「ただ……あんなセイレンを、あんなケイを見てみたかっただけ」
「なんだそりゃ」
「色んな感情に振り回されたせいかしらね。今日は私たちの傍にいる」
杏子の言葉は時々意味が掴めない。
だが説明する気も無いらしい。
曲が終わり、セイレンがドレスを摘まんで優雅にあいさつをすると、呻くようなため息が漏れた。
落とした感嘆は波紋のように広がり、喝采が堰を切って溢れだす。
ケイの傍で嬉しそうに笑うセイレンが見えた。
なんとなく、俺もそれで充分だと思った。
「踊らないの?」
ケイとセイレンのあと、軽やかに動き出した客に交じって優奈と踊り終えたヒョヌさんに声をかけられた。
「俺が踊れると思うか?」
「……あんまり」
むかつくほど素直に首を振ってヒョヌさんが笑う。
俺にこの手の社交は要求してくれるな。管轄外だ。
――それにしても、この人は何でもできる。
「韓国芸能界ってのは、踊れることも必須なのか?」
「まさか。演じたことがあるだけ」
「なるほど。色々経験しておくもんだな」
「まぁね。でも役で勉強しただけだから、実はワルツしか踊れない」
「まじ? じゃあ、この後どうするんだ?」
「適当に……抜け出す」
驚くほど無責任な発言に苦笑すると、「そういうことか」という低い声が耳に飛び込んできた。
振り返るとケイが腕を組んで突っ立っていた。
「それでは、この後のユナの相手は俺が務めよう」
「……なぜそうなる?」
「主催者権限だ。何も問題ない」
「そんなもんがあるのか?」
「今作った」
――なんだそりゃ。
「その間、あの子をどうする気だよ」
「お前らが何とかしろ」
――おいおい。
はた迷惑な要求をする奴だ。
視線を流すと、ケイに置いていかれたセイレンが大勢の男どもに囲まれて困っていた。
許せ、セイレン。
あれだけ目の色を変えた男どもを上手くあしらって、太刀打ちできる気がしない。
こういう席は苦手なんだ。
「女の方が断ることはできるはずだ。優奈、断っていいんだぞ?」
俺の言葉にケイが笑って優奈を見据える。
「ここには街中の有力者が集まっている。無理やりこの舞踏会をさせたのは貴女方でしたね。ウチの者たちは、あれから不眠不休でこの日を準備したんです。ファルス家のために。その当主が1曲申しこんで断られれば良い恥さらし。あれだけ演出したんです。みんな貴女方に興味津々だ。その誰よりも先にファルス家の当主として、貴女方と踊るという特権ぐらい頂いても良いでしょう? まさか、この期に及んで俺に恥をかかせるようなことはしないでしょうね?」
まさに憎たらしいほど筋の通った口上だ。屁理屈とも言うが。
これで優奈は断れないだろうな。
案の定、奴は唖然とするヒョヌさんからアッサリ優奈をかっさらい、ゆっくりと振り向いて俺を見た。
「その次はキョウコと、だな」
確実に嫌がらせだとわかるほどの笑みを浮かべたケイに苦笑する。
「なんでそうなる?」
「せっかく着飾った女を最後まで壁の華にしておくつもりか? 踊れない男に文句を言う権利は一切ない」
心なしか奴の足取りは軽い。
――なぜ俺らに報復する? 相手が違うだろう?
空しい文句を投げつける前に、2人を喝采が包んでいく。
「………セイレンを助けてくるよ」
そう言って項垂れるヒョヌさんの後姿を見送った。
なかなか学習能力のある奴だ。喧嘩を売る相手と売り方を変えたらしい。
甚だ迷惑な話だったが。
「事実だからしかたないわ。この先私も困るから……帰ったら特訓ね」
それはそれで迷惑な話だ。
微笑する杏子の横で、俺は天を仰いだ。
そして月が空に還る時刻。
時を刻み、記憶を残し、想い出を紡いだ煌びやかな宴は終わりを告げた。
こんばんは。稚拙な文を延々と垂れ流す、迷惑な【侵蝕恋愛】伝道師・YUKAです!
今回も私の敬愛するcanariaさんが運営するブログ
「音速形而少年」で綴られている【侵蝕恋愛】と、私の稚拙小説「誓約の地」のコラボ企画。
サブタイトルの「セレネ」とは、ギリシャ神話に出てくる月の女神の名前です。セレ―ネー、セレーネとも言われます。ローマ神話の「ルナ」と同じ。そのまんまセイレンのことを指してます。円舞はそのまま「ワルツ」のこと。
ドレス用語解説。
???な言葉ばかりのドレス形容(笑)忘備録も兼ねてセイレン編。色は「マルベリー」=桑の実の色。黒紫。
光沢のあるマルベリーに銀糸刺繍ってこんな感じというイメージ画↓↓
『この色のミカドサテン
(上品な光沢の最高級シルク)のドレスを見つけて、優奈と飛びあがったのよ。プレタポルテ
(高級既製品)なのにピッタリだと思って。細身だからAライン
(ドレスの形・アルファベットのAのようにすそ広がりのライン)に小さめのバニエ
(スカートを膨らませるための中に履くスカート)も入れてるの。背が高いから、少しだけトレーン
(後ろに引く長めの裾)を出すためにかなり調節して貰った。見て。このリバレース
(ごく細い糸を撚り合わせて編み上げた繊細で技巧優美な最高級レース)と刺繍! これを3日で仕上げるなんて、この街の職人は本当に素晴らしいわ。そのおかげね。それでもかなり無理言ったから、間にあってよかった』
と、杏子は言っています(笑)
ちなみに、優奈と杏子は準備して行ったのでオートクチュール
(高級1点ものオーダーメイド)です。
読んで頂けたらこの上なく嬉しいです!読んで頂けてこその小説。
とうとう次話は最終話です。ここまでお付合いくださった皆様、ありがとうございました――!^^
【記事を閉じる】