【誓約の地・番外編】 修平の述懐(前話)
- Day:2013.02.17 22:00
- Cat:修平の述懐
【誓約の地・番外編】 修平の述懐(前話)
述懐(じゅっかい)――心中の思いをのべること。
岩場で釣り糸を垂らす修平に、ヒョヌが声をかけた。
杏子に救われた彼が、今度はヒョヌの言葉に救われていく。
かつての自分、今の自分、そしてこれからの自分。
穏やかに流れる時間を共有しながら、修平視点で贈る男同士の日常。
3話完結
133話<懺悔(19)>読了推奨
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海で釣り糸を垂らしていると、ヒョヌさんが声をかけてきた。
「釣れる?」
「全然」
彼は笑いかけた俺の隣に腰をおろし、2人でしばらく黙って海を見ていた。
「ちょっと落ち着いた?」
声をかけると、大きく息を吐いて微笑んでいる。
「そうだね」
「……そっか」
カモメが飛んでいるのどかな午後。
旋回するカモメを目で追いながら、輝く空の色に目を細める。
「あの時は、ありがとう」
一瞬間を開けて、無言で振り返った。
眼が合うと、ヒョヌさんは力を抜いて微笑みながら視線を海に向ける。
森へと吹き抜けていく潮風は、微かに磯の香りがする。
打ち寄せる波はうねりながら岩場に当たり、白く飛沫をあげて崩れていく。
繰り返される規則的な音が、静かな時間を作り上げていた。
「自分でもびっくりするほど動揺してた。止めてくれなかったら無茶をしてたよ」
その一言に少し考えてから、思い出して「ああ」と声をあげた。
「あの時か。ま、先にあれだけ動揺されてたら、先を越されたっていうか、出遅れたというか――」
思わず苦笑する俺を見てヒョヌさんも笑っている。
「ヒョヌさんも杏子も俺よりずっと優奈に近いからな。まぁ、ヒョヌさんの立場ならあれが当然だよ。俺が逆の立場なら、きっと止めてただろう?」
「……そうかな」
「だから気にしなくていい」
「ああ。でも助かったと思ってる。だから……ありがとう」
自嘲気味に笑うヒョヌさんの気持ちがよくわかる。
気にするなと言っても無駄だろう。
あの件は、彼の中で今も少し燻っている。
当然だと思う。この人の優奈への想いの強さは、俺が一番わかっている。
「優奈、大丈夫?」
「まあね。だいぶ落ち着いてきたかな?」
「そっか。良かった」
岩場に押し寄せる波に音が心地よく響く。
流れ始めた日々が随分と穏やかに感じる。
それはきっと、落ちつきはじめた自分の気持ちが影響しているせいだろう。
「……あいつには杏子がいなかったからな」
俺が杏子との付き合いを報告すると、ヒョヌさんは「知ってる」と笑った。
随分前に杏子から告げられたらしい。
あいつは何も言ってなかったが、そんな所まで手回しがいいと感心した。
俺は「なるほど」と苦笑して、手にしていた釣り竿を動かないように固定する。
空いた両手を後ろにつき、海と空の境界線を眺めた。
「俺が昔、優奈を好きだった頃……俺もあいつのように思い詰めてた時期があった。なんで俺じゃないんだろう……心が軋んで辛かった。だからあの頃の俺は……ヒョヌさんが大っ嫌いだった」
最後に少々力の入った言葉を、ヒョヌさんが苦笑で受け流していく。
「知ってる」
「だからってコウジを肯定するわけじゃないけど、最悪な事に、気持ちがわかる部分もあるんだ」
思わず本音が漏れた。
酷い言い草だと自分でも思う。
そのことで苦しんでいたヒョヌさんの前で、今もきっと苦しんでいるだろう彼の前で、それはあんまりな言葉だと思う。
それでも彼は、「うん」と相槌を打っただけで飄々としている。
そのことに少し救われた。
今でもあの頃のコウジを思い出すだけで、なぜか口の中が乾いていく。
あの時の俺も同じだった。
心が堕ちていくようなあの感覚を、何と言えばいいのかわからない。
それでもあがらおうとする想いがチカチカと点滅する小さな光を無意識に求め、それが結果的に俺を救ってくれた気がする。
俺を救ってくれたその光は、杏子だった。
「俺には杏子がいた。あいつに救われた。だから俺はコウジにならなかった」
それが俺とコウジの違い。
その違いは、たったそれだけだと思ってる。
「あいつを見てると怖くなるんだ。俺もあんな眼で優奈を見て、あんなふうに思い詰めてたのかもしれないってさ。優奈を好きだった頃を後悔はしてない。今もいい女だって思うよ」
「変な意味じゃなくて」と付け加えた俺に、ヒョヌさんは「わかってる」と呟いた。
「でもそんな俺を、杏子はどんなふうに見てたんだろうって……時々思う」
杏子はあの頃と変わらない。
はじめは随分乱暴な女だと思った。
でも実はゆっくりと舵を切り、俺の気持ちを逃がしてくれた。
あいつらしいやり方で。
俺は杏子に縋って、杏子を逃げ場にして救われた。
あいつのおかげで、俺は今でも俺でいられる。
コウジには逃げ場がなかった。
自分の想いに戸惑い、足掻き、ついに飲み込まれてしまった。
闇よりも濃いドロドロとした漆黒の感情は、今だからこそあがらうべきなんだとわかる。
でもそれは結果論だ。
光が見えずにさまよっていたコウジには、それさえもわからなかった。
じゃあコウジはどうすれば良かったのかと、答えの出ない問いに俺の思考も迷走する。
「ならなかったと思う」
ぽつりと呟くように放たれた言葉に、思わず振り返った。
「たとえ心が軋んで苦しんでも、忘れられないともがいていても……修平はコウジのようにはならなかったと思う。確かに僕も、あの頃修平を警戒してた。嫌われてるのも知ってたし、僕も近づかなかった。男として警戒して……嫉妬したりして」
「マジ?」
「かなりね。あの頃は優奈を渡したくなくてもがいてた。2人が……近づいていくのが怖かった」
「ぜ~んぜん。近づいてはいなかったけどな」
優奈は驚く程頑なに、一途にヒョヌさんしか見ていなかった。
それは俺の本音だったのに、ちらりと俺を見たヒョヌさんに「嘘つけ」と呟やかれた。
……ちょっとむかついた。
「杏子ちゃんにも言われた。優奈が僕のファンだったせいで僕は少し有利だったけど、五分五分だったって。有利なのに五分五分だってことは、僕の方が負けてたってことだ。僕も思ってた……それは修平が、やっぱり男から見てもいい男だったからね」
そう言って小さく笑う。
この人はどんな時でも変わらない。
相手を率直に認め、尊重して称賛を惜しまない。
素直というか、なんというか――
「……そりゃどうも」
何となく照れ臭くてそう返した。
あの頃はそれがイチイチカッコ良くて、それがイチイチ鼻について、嫌味な奴だと思っていた。
でも今は、本来こういう人なのだとわかっている。
実際どんな相手でも、例え年下であっても、相手によって分けたり隔てしたりしない。
自分の気持ちを正直にありのまま話すこの人の、こういうところに勝てないと思う。
お世辞やおべっかを言っているわけでもない。
真っ直ぐに見つめ、気負った感情は感じない。
そこが優奈に、とても似ている。
「それに、下手な男を杏子ちゃんは選ばないよ。それがたとえ優奈のためでも」
その一言にハッとした。
なんというか……暫く声も出なかった。
「杏子ちゃんに選ばれた時点で確信したっていうかさ。そう思わせる彼女は、ある意味凄いよな」
そう言って笑うと、ヒョヌさんは空を見上げた。
――優奈のため。あの時も、そして……今も?
ずっと感じていた、口に出せない想い。
時々感じる小さな棘。
涼しい顔で眩しそうに目を細めるヒョヌさんの横顔を、随分見ていた気がする。
「修平と杏子ちゃんが近づいたきっかけは知らない。杏子ちゃんは勘がいいからね。僕や修平の気持ちに優奈より早く気付いたと思う。優奈を心配して僕たちを観察してたと思う。それでも……優奈をきっかけにして修平を知ったとしても、それだけで修平と付き合ったりしないよ」
「そうかな」
思わずそう呟くと、「きっとね」と言ってヒョヌさんは笑った。
「言っただろう? 修平は僕から見てもいい男だった。間違いなくね。それをあの杏子ちゃんがわからないわけがない」
まるで当り前だと言わんばかりに断言するヒョヌさんは、ちょっと杏子に被った。
あいつよりよっぽど柔らかいけど。
「元」――とはいえ、あれだけやたらとぶつかっていた相手を堂々と褒める。
それがなんともこの人らしくて、つい笑ってしまった。
「僕から見た杏子ちゃんは物凄く勘の鋭い人だけど、それ以上に繊細な人だ。繊細な人だから勘が働くのかもしれない。彼女のルールは一般的でないこともあるんだろうけど、それは彼女の中でつじつまが合ってるんだと思う。だから極端な意見でも説得力が生まれる。それに奔放な恋愛しているようで、実は相手への厳密な基準があるような気がしてる。だから彼女が修平に近づいた時は、すでに彼女の中で修平への好意があったはずなんだ。たとえその時、修平が優奈を好きだったとしても」
「そう、かな」
少し声がかすれた。
その問いに、ヒョヌさんは「本人に聞いてみれば?」と無茶を言う。
でもちょっと興味を引かれた。あいつは何て言うだろうか?
情けないことに、かけて貰った言葉で救われた気がした。
そして情けないと思うことがまた、少し情けないと思う。
素直にありがとうと言えない俺は、かなり女々しくて小さい男だ。
それをまた思い知る。
「負けるわけだな」
この島で、真っ直ぐに自分と、人と向き合うことの難しさも苦しさも知った。
だからこの人の強さを実感できる。
コウジの一件があっても、呑み込まれそうな闇を感じても、やっぱりこの人はこの人だった。
一見柔和で「女みたいなヤツだ」と思ったこの人のほうが、斜に構えた野郎より数倍カッコいい。
物事をつい斜めに見てしまう癖のある俺が、時には素直に見ることも悪くないんじゃないかとさえ思ってしまう。
だけど、それでも俺は俺で、ヒョヌさんにはなれない。
「ヒョヌさんは俺が思ってたよりいい男だったって、今わかった」
一瞬珍妙な顔をして「今かよ」と呟いたヒョヌさんに、思わず笑いがこみ上げる。
「……そりゃどうも」
俺の口調を真似したヒョヌさんと目があった。
お互い一拍置いて、思わず笑った。
俺も少しだけ真似てみようかと思う。
いいところはいいと、素直に認めることは悪いことじゃない。
それができる程度の度量は、人として、男として持っていたい。
そこまで考えて、なんだか不思議な気分になる。
少し前までは、それは負けだと思っていた。
特に優奈に夢中だったあの頃は。
この人の良さを完全に認めてしまったら、俺の負けだと思い込んでいた。
俺とは違うこの人の良さは、俺の中に無いものだったから。
何となく否定して、何となく拒絶していた。そりゃあもう、馬鹿みたいに。
でも、いいと思うなら真似ればいい。
真似ていくうちに消化して、それが俺自身を作っていけばいいんだ。
真似したからって、全く同じわけじゃない。
真似したからって、ヒョヌさんになるわけじゃない。
俺がヒョヌさんになる必要はない。
それでも俺は俺だ。
ゆったりと旋回しながら、カモメは西の方角へ飛んでいく。
俺の肩をポンと叩いて、ヒョヌさんはその場を後にした。
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海で釣り糸を垂らしていると、ヒョヌさんが声をかけてきた。
「釣れる?」
「全然」
彼は笑いかけた俺の隣に腰をおろし、2人でしばらく黙って海を見ていた。
「ちょっと落ち着いた?」
声をかけると、大きく息を吐いて微笑んでいる。
「そうだね」
「……そっか」
カモメが飛んでいるのどかな午後。
旋回するカモメを目で追いながら、輝く空の色に目を細める。
「あの時は、ありがとう」
一瞬間を開けて、無言で振り返った。
眼が合うと、ヒョヌさんは力を抜いて微笑みながら視線を海に向ける。
森へと吹き抜けていく潮風は、微かに磯の香りがする。
打ち寄せる波はうねりながら岩場に当たり、白く飛沫をあげて崩れていく。
繰り返される規則的な音が、静かな時間を作り上げていた。
「自分でもびっくりするほど動揺してた。止めてくれなかったら無茶をしてたよ」
その一言に少し考えてから、思い出して「ああ」と声をあげた。
「あの時か。ま、先にあれだけ動揺されてたら、先を越されたっていうか、出遅れたというか――」
思わず苦笑する俺を見てヒョヌさんも笑っている。
「ヒョヌさんも杏子も俺よりずっと優奈に近いからな。まぁ、ヒョヌさんの立場ならあれが当然だよ。俺が逆の立場なら、きっと止めてただろう?」
「……そうかな」
「だから気にしなくていい」
「ああ。でも助かったと思ってる。だから……ありがとう」
自嘲気味に笑うヒョヌさんの気持ちがよくわかる。
気にするなと言っても無駄だろう。
あの件は、彼の中で今も少し燻っている。
当然だと思う。この人の優奈への想いの強さは、俺が一番わかっている。
「優奈、大丈夫?」
「まあね。だいぶ落ち着いてきたかな?」
「そっか。良かった」
岩場に押し寄せる波に音が心地よく響く。
流れ始めた日々が随分と穏やかに感じる。
それはきっと、落ちつきはじめた自分の気持ちが影響しているせいだろう。
「……あいつには杏子がいなかったからな」
俺が杏子との付き合いを報告すると、ヒョヌさんは「知ってる」と笑った。
随分前に杏子から告げられたらしい。
あいつは何も言ってなかったが、そんな所まで手回しがいいと感心した。
俺は「なるほど」と苦笑して、手にしていた釣り竿を動かないように固定する。
空いた両手を後ろにつき、海と空の境界線を眺めた。
「俺が昔、優奈を好きだった頃……俺もあいつのように思い詰めてた時期があった。なんで俺じゃないんだろう……心が軋んで辛かった。だからあの頃の俺は……ヒョヌさんが大っ嫌いだった」
最後に少々力の入った言葉を、ヒョヌさんが苦笑で受け流していく。
「知ってる」
「だからってコウジを肯定するわけじゃないけど、最悪な事に、気持ちがわかる部分もあるんだ」
思わず本音が漏れた。
酷い言い草だと自分でも思う。
そのことで苦しんでいたヒョヌさんの前で、今もきっと苦しんでいるだろう彼の前で、それはあんまりな言葉だと思う。
それでも彼は、「うん」と相槌を打っただけで飄々としている。
そのことに少し救われた。
今でもあの頃のコウジを思い出すだけで、なぜか口の中が乾いていく。
あの時の俺も同じだった。
心が堕ちていくようなあの感覚を、何と言えばいいのかわからない。
それでもあがらおうとする想いがチカチカと点滅する小さな光を無意識に求め、それが結果的に俺を救ってくれた気がする。
俺を救ってくれたその光は、杏子だった。
「俺には杏子がいた。あいつに救われた。だから俺はコウジにならなかった」
それが俺とコウジの違い。
その違いは、たったそれだけだと思ってる。
「あいつを見てると怖くなるんだ。俺もあんな眼で優奈を見て、あんなふうに思い詰めてたのかもしれないってさ。優奈を好きだった頃を後悔はしてない。今もいい女だって思うよ」
「変な意味じゃなくて」と付け加えた俺に、ヒョヌさんは「わかってる」と呟いた。
「でもそんな俺を、杏子はどんなふうに見てたんだろうって……時々思う」
杏子はあの頃と変わらない。
はじめは随分乱暴な女だと思った。
でも実はゆっくりと舵を切り、俺の気持ちを逃がしてくれた。
あいつらしいやり方で。
俺は杏子に縋って、杏子を逃げ場にして救われた。
あいつのおかげで、俺は今でも俺でいられる。
コウジには逃げ場がなかった。
自分の想いに戸惑い、足掻き、ついに飲み込まれてしまった。
闇よりも濃いドロドロとした漆黒の感情は、今だからこそあがらうべきなんだとわかる。
でもそれは結果論だ。
光が見えずにさまよっていたコウジには、それさえもわからなかった。
じゃあコウジはどうすれば良かったのかと、答えの出ない問いに俺の思考も迷走する。
「ならなかったと思う」
ぽつりと呟くように放たれた言葉に、思わず振り返った。
「たとえ心が軋んで苦しんでも、忘れられないともがいていても……修平はコウジのようにはならなかったと思う。確かに僕も、あの頃修平を警戒してた。嫌われてるのも知ってたし、僕も近づかなかった。男として警戒して……嫉妬したりして」
「マジ?」
「かなりね。あの頃は優奈を渡したくなくてもがいてた。2人が……近づいていくのが怖かった」
「ぜ~んぜん。近づいてはいなかったけどな」
優奈は驚く程頑なに、一途にヒョヌさんしか見ていなかった。
それは俺の本音だったのに、ちらりと俺を見たヒョヌさんに「嘘つけ」と呟やかれた。
……ちょっとむかついた。
「杏子ちゃんにも言われた。優奈が僕のファンだったせいで僕は少し有利だったけど、五分五分だったって。有利なのに五分五分だってことは、僕の方が負けてたってことだ。僕も思ってた……それは修平が、やっぱり男から見てもいい男だったからね」
そう言って小さく笑う。
この人はどんな時でも変わらない。
相手を率直に認め、尊重して称賛を惜しまない。
素直というか、なんというか――
「……そりゃどうも」
何となく照れ臭くてそう返した。
あの頃はそれがイチイチカッコ良くて、それがイチイチ鼻について、嫌味な奴だと思っていた。
でも今は、本来こういう人なのだとわかっている。
実際どんな相手でも、例え年下であっても、相手によって分けたり隔てしたりしない。
自分の気持ちを正直にありのまま話すこの人の、こういうところに勝てないと思う。
お世辞やおべっかを言っているわけでもない。
真っ直ぐに見つめ、気負った感情は感じない。
そこが優奈に、とても似ている。
「それに、下手な男を杏子ちゃんは選ばないよ。それがたとえ優奈のためでも」
その一言にハッとした。
なんというか……暫く声も出なかった。
「杏子ちゃんに選ばれた時点で確信したっていうかさ。そう思わせる彼女は、ある意味凄いよな」
そう言って笑うと、ヒョヌさんは空を見上げた。
――優奈のため。あの時も、そして……今も?
ずっと感じていた、口に出せない想い。
時々感じる小さな棘。
涼しい顔で眩しそうに目を細めるヒョヌさんの横顔を、随分見ていた気がする。
「修平と杏子ちゃんが近づいたきっかけは知らない。杏子ちゃんは勘がいいからね。僕や修平の気持ちに優奈より早く気付いたと思う。優奈を心配して僕たちを観察してたと思う。それでも……優奈をきっかけにして修平を知ったとしても、それだけで修平と付き合ったりしないよ」
「そうかな」
思わずそう呟くと、「きっとね」と言ってヒョヌさんは笑った。
「言っただろう? 修平は僕から見てもいい男だった。間違いなくね。それをあの杏子ちゃんがわからないわけがない」
まるで当り前だと言わんばかりに断言するヒョヌさんは、ちょっと杏子に被った。
あいつよりよっぽど柔らかいけど。
「元」――とはいえ、あれだけやたらとぶつかっていた相手を堂々と褒める。
それがなんともこの人らしくて、つい笑ってしまった。
「僕から見た杏子ちゃんは物凄く勘の鋭い人だけど、それ以上に繊細な人だ。繊細な人だから勘が働くのかもしれない。彼女のルールは一般的でないこともあるんだろうけど、それは彼女の中でつじつまが合ってるんだと思う。だから極端な意見でも説得力が生まれる。それに奔放な恋愛しているようで、実は相手への厳密な基準があるような気がしてる。だから彼女が修平に近づいた時は、すでに彼女の中で修平への好意があったはずなんだ。たとえその時、修平が優奈を好きだったとしても」
「そう、かな」
少し声がかすれた。
その問いに、ヒョヌさんは「本人に聞いてみれば?」と無茶を言う。
でもちょっと興味を引かれた。あいつは何て言うだろうか?
情けないことに、かけて貰った言葉で救われた気がした。
そして情けないと思うことがまた、少し情けないと思う。
素直にありがとうと言えない俺は、かなり女々しくて小さい男だ。
それをまた思い知る。
「負けるわけだな」
この島で、真っ直ぐに自分と、人と向き合うことの難しさも苦しさも知った。
だからこの人の強さを実感できる。
コウジの一件があっても、呑み込まれそうな闇を感じても、やっぱりこの人はこの人だった。
一見柔和で「女みたいなヤツだ」と思ったこの人のほうが、斜に構えた野郎より数倍カッコいい。
物事をつい斜めに見てしまう癖のある俺が、時には素直に見ることも悪くないんじゃないかとさえ思ってしまう。
だけど、それでも俺は俺で、ヒョヌさんにはなれない。
「ヒョヌさんは俺が思ってたよりいい男だったって、今わかった」
一瞬珍妙な顔をして「今かよ」と呟いたヒョヌさんに、思わず笑いがこみ上げる。
「……そりゃどうも」
俺の口調を真似したヒョヌさんと目があった。
お互い一拍置いて、思わず笑った。
俺も少しだけ真似てみようかと思う。
いいところはいいと、素直に認めることは悪いことじゃない。
それができる程度の度量は、人として、男として持っていたい。
そこまで考えて、なんだか不思議な気分になる。
少し前までは、それは負けだと思っていた。
特に優奈に夢中だったあの頃は。
この人の良さを完全に認めてしまったら、俺の負けだと思い込んでいた。
俺とは違うこの人の良さは、俺の中に無いものだったから。
何となく否定して、何となく拒絶していた。そりゃあもう、馬鹿みたいに。
でも、いいと思うなら真似ればいい。
真似ていくうちに消化して、それが俺自身を作っていけばいいんだ。
真似したからって、全く同じわけじゃない。
真似したからって、ヒョヌさんになるわけじゃない。
俺がヒョヌさんになる必要はない。
それでも俺は俺だ。
ゆったりと旋回しながら、カモメは西の方角へ飛んでいく。
俺の肩をポンと叩いて、ヒョヌさんはその場を後にした。
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